2003年12月16日(火) 野本和浩さんも逝ってしまいました

訃報が続く年の瀬です。
大原さんの訃報を聞いたのが12/13(土)でした。15日、シカラムータのライブのために今池TOKUZOに行くと、今度はサックスの野本和浩さんの訃報を聞きました。
野本さんは何度でライブで見たことがあります。その殆どはヒカシューで、でした。20代の頃、ヒカシューが大好きで、名古屋でライブがあれば出来る限り行きました。野本さんはそこのサックスだったったのです。野本さんを見たのはそのヒカシューのライブのみでしたが、参加してた「ベツニナンモクレズマー」も大好きなバンドの一つで、うちでよく聴いていました。
そんな感じで、ヒカシューが好き、ベツニナンモクレズマーが好きで、では野本さんが特別好きだったかというとそうでもなく、ただお名前だけをこうして存じ上げているというぐらいなのです。
それでも、やはりこうした訃報を聞くと、一つの生が終わったことについていろいろと思ってしまう一日となりました。

野本和浩さんのHPを、こうなってしまって初めて知り、そこを読んでみました。野本さんは癌でなくなったそうなのですが、なんとその2日ほど前までWEB日記を付けていたのです。癌と知ったのはもう随分前だそうで、入退院を繰り返して、音楽に付いて考え、自ら「ひまじん」と称してテレビを見、デモに参加し、そんな日々を送っていたようです。体の痛みや鬱とも付き合っていきながら。
日記の中で一つ、非常に心に残った言葉がありました。
痛み止めを飲んでも痛みが消えないと病院に行った時、かなりの量のモルヒネを処方してもらったそうです。袋にも「麻薬処方箋」と書かれていたとか。ちょっと驚いていると、「痛みを我慢するなんて馬鹿馬鹿しいからね」とお医者さんが言ったそうです。
どうしても、どんな時でもどこかに「我慢しないといけない」という考えは存在します。いえ、私自身は我慢しない主義ではあるのですが、しかし「闘病」という言葉には「痛みに耐え、それと闘う」というニュアンスを感じるのです。
勿論、「我慢」が全く不必要だとは思ってはいません。でも、人間ぎりぎりのところで、命の長さは限られていて、そんな所で痛いことに苦しんでいるだけの生き方のどこが楽しかろうか。なんだかこの「痛みを我慢しているなんて馬鹿馬鹿しいからね」という言葉は、とても強くて、希望を感じるのです。きっと野本さんは、出来る限りの所までいつものように生きよう、としていたのではないでしょうか。勝手にそんなことを想像しています。

野本さんのHPの掲示板では、もう現実にそれを見ている野本さんはこの世にいらっしゃらないけど、大勢の友人の方々が野本さんに言葉をかけています。「あの世」を信じるのは、残された人間にとってとても大切なことのように思います。私はまだ「あの世」というものを強く信じることが出来ませんが、でも野本さんの最期、そして最後に脳裏に浮かび上がった風景が、穏やかで楽しいものであってくれたら、と思います。


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