ふつうっぽい日記
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2022年01月24日(月) 少しずつ

少しずつ、あれやこれやをやろうとしている。
何もかもが、少しずつ進行する……という訳ではないらしい。
少しずつの速さが違うのだろう。

今、この編集画面の文字の大きさを二段階で大きくした。

そう、全ては、その速さの中にありながら、段階的ではあるのだろう。

支援活動をしていた頃に仕入れた本などを少しずつ手放している。
しばらくは、「思い出」の中に浸っていたけれど。
古いものを出さなければ、新しいものが入らない。
「思い出」の奥行きはどんどん広がる。
そういうものだ。
その器を作ってくれたのは、母である。

このところ、夢で、「別れ」を示唆するような雰囲気に敏感だ。
それはスマホの文字画面であったり、雲のようなものに乗っている描写であったり。
ある占い的言葉で、去年の12月「別れを覚悟する」的な言葉があった。
去年の2月、3月ごろは、個人的な体験を通過させていた途上で、未来のそのメッセージの言葉にいろいろとネガティブな想像をして泣いたこともあった。

少しずつ、例えば、モノとの決別をしながら、自身の人格を閉じていく準備をしていくのだ。
閉塞感漂う昨今。
それぞれの速さで、その準備もしたくなるのも分かる。

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「年賀状は、めんどくさいから書いていない」とある友人。
ワタシは、今のところめんどくさいとは思えてない。
しかし、そういう気持ちは分かる。
例えば、子どもがいて、機械的に得意であったら、
「ワタシの分も作ってよ」的な感じで頼ってもいただろう。
また、配偶者がその手が得意だったりする場合とか。

年賀状の連名。
今年は、一つのデザインで連名にした。
だからという訳ではないが、「年賀状は、めんどくさいから書いていない」という友人には送らなかった。
年賀状の付き合いはなくても、連絡はする、という存在もありうる。
終活というところまでは、まだいってはいないが、ちょっとずつ、少しずつ、自然な感じで年賀状の輪は消えつつあるようには思う。

◯◯じまい。

少しずつ、少しずつ。
手放していく。


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