ふつうっぽい日記
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2015年06月20日(土) 丸くなった

体型が、顔が?!
それもあるかもしれない。
というか、意識がという感じの。

ただ、ふと、両手が手持ち無沙汰になったとき、両手を強く組む癖のようなものが定着してしまった。
まぁ、これもここ数週間でのことなので、また、変わっていくこと、通過点に過ぎないのだと思う。

通過点だと考えれば、「丸くなった」ということだって、同じく。
「角張ってきたな」という通過点だってありうることだ。

なるほど、丸くなったり、角張ったりしながら、非対称な動きをとりつつ、成長、成熟していくのであろう。

ーーー

家族というのは不思議なものである。
その親という立場、一組の夫婦という状態は、結びつきはまったくの他人である。
その間に出来た、授かった子どもという結びつきは他人ではないのだ。
他人ではないものを生み出すには、他人が必要というわけである。

最近、受け取るメッセージ。
メッセージといってもリアルなメールとか手紙の類ではなく、ふと読んだ本とか、ふと付けたテレビとか、そういう媒体から受け取るキーワードみたいなもの。

非対称なもの、対立した環境で人間というのは成熟していく、ということ。
父の役割、母の役割。
最近では、両親が同じ考え方、意識みたいな環境で子どもが育つから、学校とか家族外の社会で関わる人が違う考え方、非対称、対立した態度で子どもと関わっていくのがよろしいと。
子どもとしては、「どっちやねん」と葛藤することになるが、その葛藤が社会性を培うのだと。
なるほどな、と、思う。

葛藤。
最近、動的な活動でもって、葛藤する場面は少ない環境にあるが、体型だとか、睡眠の取り方だとか、食事だとか、塗り絵をすることだとか、ささやかな次元で、ささやかな葛藤をおそらく体験している。
ささやかではあるが、成熟しているのであろう。

うわ〜〜〜っと追い立てられるように、急かされるように成熟させられてしまうこともあれば、ごくごくゆるやかにそうなっていくこともあるのだ。
今は、後者であり、通過点に過ぎない。

すべては連続している通過点だ。


KAZU |MAIL