ふつうっぽい日記
もくじ|過去|未来
体型が、顔が?! それもあるかもしれない。 というか、意識がという感じの。
ただ、ふと、両手が手持ち無沙汰になったとき、両手を強く組む癖のようなものが定着してしまった。 まぁ、これもここ数週間でのことなので、また、変わっていくこと、通過点に過ぎないのだと思う。
通過点だと考えれば、「丸くなった」ということだって、同じく。 「角張ってきたな」という通過点だってありうることだ。
なるほど、丸くなったり、角張ったりしながら、非対称な動きをとりつつ、成長、成熟していくのであろう。
ーーー
家族というのは不思議なものである。 その親という立場、一組の夫婦という状態は、結びつきはまったくの他人である。 その間に出来た、授かった子どもという結びつきは他人ではないのだ。 他人ではないものを生み出すには、他人が必要というわけである。
最近、受け取るメッセージ。 メッセージといってもリアルなメールとか手紙の類ではなく、ふと読んだ本とか、ふと付けたテレビとか、そういう媒体から受け取るキーワードみたいなもの。
非対称なもの、対立した環境で人間というのは成熟していく、ということ。 父の役割、母の役割。 最近では、両親が同じ考え方、意識みたいな環境で子どもが育つから、学校とか家族外の社会で関わる人が違う考え方、非対称、対立した態度で子どもと関わっていくのがよろしいと。 子どもとしては、「どっちやねん」と葛藤することになるが、その葛藤が社会性を培うのだと。 なるほどな、と、思う。
葛藤。 最近、動的な活動でもって、葛藤する場面は少ない環境にあるが、体型だとか、睡眠の取り方だとか、食事だとか、塗り絵をすることだとか、ささやかな次元で、ささやかな葛藤をおそらく体験している。 ささやかではあるが、成熟しているのであろう。
うわ〜〜〜っと追い立てられるように、急かされるように成熟させられてしまうこともあれば、ごくごくゆるやかにそうなっていくこともあるのだ。 今は、後者であり、通過点に過ぎない。
すべては連続している通過点だ。
|