| 2002年04月13日(土) |
、、<(’∀`)>、、ナハナハ |
薄っぺらい人間だな、自分は。
と自覚することがシバシバある。 しかもそのシバシバはナントナクやってくるので よーく考えなくても、自分が薄いと感じるほど 薄いってことかもしれない。
絵を…イラストをカッコよく描けたらな。
と夢見る事はいつもある。 しかし、薄い人間の薄し感性では カッコいいものがかけない。ような気がする。
対象を深く解読して そのものの本質を自分に映して できるものがカッコいいゲージツになるんじゃないかな。
つまり解読する根性と気質と それを映す自分の(カタチを持てる程度の)内面と それがあれば、ゲージツはできるし それがなければ、ゲージツはできない。 技術は二の次。三の次。
ま、ちょっと考えると
感動させられるものといえば 自分の既知のものから外れていたり あるいは 自分のそれまでの視点から外れていたり
そういうものだと思うので 自分で作ったものを「カッコイィ」と思えるようになるのは 私のような人間には無理なのかもしれない。とか思う。
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しかし最近は 薄っぺらい自分ではない自分、なんて 気色悪いな なんーて思ったりもする。 薄い自分が自分だから。 「この信念はハズさねぇ…!」とか 言えない、チト情けない自分が自分だから このままがいい、と思っちゃったりするわけです。
薄っぺらくてもエエじゃないか! 刹那的でも薄笑い的でもエエじゃないか!
保守的な人間なもので。ナハ。、、<(’∀`)>、、ナハナハ
でも、いつまでも 自分に満足できない 自分のゲージツに太鼓判押せない ままに死ぬのは辛いな。 そんな事を考える時はこういって聞かせてみます。
ま・死ぬ時は死ぬ時だ!
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