原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2005年09月23日(金) Re:スケジュール 米朝不可侵条約

★1: スケジュール>9月
★2: 米朝不可侵条約〜日本の孤立化〜今こそ平和を



★1: スケジュール>9月

9月のスケジュールがほぼ全部の日付について埋まった!
会津里花後悔公開スケジュール
12日と26日しかお休みしてないことに(汗
……なあんて、ただ「遊びに行っただけ」というのもあるけど。
っていうか、今のわたしには「ただの遊び」なんてないのだ。
あ、そうか、別の趣味を何か持たないと。
芸術・表現関係とはぜんぜん関係ない趣味。
たとえば「ジョギング」とか……(体動かすのがめんどくさいし、自転車で街まで出かければだいたい同じことじゃん)
あと、「庭いじり」、っていうと「ご隠居さま」みたいなのでとりあえず「ガーデニング」って言っておこう、とか……(三日坊主に終わるのは目に見えている)
……〜〜〜〜〜んんんんん〜〜〜〜……(-"-;;

あーっ!!
旅行に行きたいーーーーーっ!!

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★2: 米朝不可侵条約〜日本の孤立〜平和主義の堅持

あんまり本気にしていない人が多いようだけど。
ついこないだの「六カ国協議」の成果、実はあれって「アメリカによる北朝鮮への不可侵確約」なんだよね。
これから北朝鮮の外交における態度が様変わりする可能性がある。

わたしがけっこう本気で心配しているのは、日本が国際的に孤立していくこと。
アメリカとの同盟にしがみつくことで「枢軸化」していくのではないか、と懸念していたけれど、アメリカは実はさっさと「覇権主義」からは手を引いて、国際的には「引きこもり」になってしまう可能性が強いようだ。
で、残された日本は。
「2階に登ったら梯子を外された」という状態になりかねない。
日本は国際的に(アメリカからも含めて)孤立してしまう。
そんなことになったら、それでなくても過剰な「1億2千万人」は、もう食っていけなくなってしまう。

「だからこそ、アメリカからの押し付けではない自主憲法を!」というスローガン、かっこよさげに見えるけど、騙されちゃってる人が多いんだろうなあ。
そういうことを言ってるヤツほど、実はアメリカの言うなりなんだよ。
「改憲」を要求してきたのは、他ならぬアメリカだから。
今もそういう流れが強くなっているのは、「自分(アメリカ)はおまえ(日本)から手を引くから、自分の身は自分で守れ」というニュアンスを、アメリカから受け取っているからだ。
けれども、「軍備がなければ国は守れない」なんていう発想そのものが、既に時代遅れなのだ。
それは、何よりもアメリカのイラク侵略のむごたらしい失敗が、これ以上何も言う必要がないほどわかりやすく物語ってくれている。
どんな軍事行動をとったところで、テロリストはいなくなりはしない。

これから必要なのは、テロリストが「テロリストではなくなる」ことだ。
これ以上テロをする必要がない、テロをしても無駄、テロをする元になる恨みを手放した……
そう思えるような環境を創り出していくことが、21世紀の世界に最も求められていることなのだ。

「目には目を、歯には歯を、殺しには殺しを」という「報復主義」は、むしろ人口爆発がこんなにとんでもないことになってなどいなかった古代にしか通用しなかった理屈なのではないか。
っていうか、今「報復主義」を前面に出して人々が生きていくようになれば、いずれ「多すぎるからできるだけ殺しあう」という目も当てられないような状況に今世紀中になってしまうのも明白だから。

戦争があればあるほど、人口は増える。
それが「消費・購買力」としてカウントされて、その大きさによって「国力」が量られた時代には、その当然の帰結として戦争でさえも「当然のこと」として扱われた。
しかし、今世紀半ばには世界人口が100億に到達する、と言われている時に、そんな危険な論理では、簡単に人類は破滅してしまうだろう。
古い、愚かな理屈にしがみついている場合ではない。
「生きるか死ぬか」ではなく、「みんなで生きていける」時代を、わたしたちは今から用意しなければならない。
「7代先」なんていわない。
わたしは、このことを、今生きている自分の子どものために考えているのだ。
彼が年老いた頃には「人口100億」が現実のものとなっているであろうと思えば、なおさら、必死にならざるを得ないのだ。

父親が子どもにしてやれることなんて、直接世話を焼くなんてどうせへたくそだったりわたしみたいにできなくなってしまったりするのがおちだし、子どもが安心して生きていける社会の枠組みを用意してやることくらいしか、ないんだから!

その「枠組み」を創り出すことにとても有意義なヒントを与えてくれている「日本国憲法」の特に「平和主義」の規定(前文と9条)を、「自衛隊の邪魔だから『改正』しよう」だなんて、どこまでおばかな人たちが多いんだろう。

わたしも「憲法改正」そのものはしてもいい、と思っているよ!
ただし、今ある平和主義をもっともっと強化して、自衛隊の存在を「世界情勢に起因する必要悪」とはっきり規定して「その撤廃のためにあらゆる平和的努力を行う」とし、軍事的脅威がある程度未満になったら現実に自衛隊を解散する、というようなことまで憲法に盛り込む、そういうような方向にだったら「改正」してもいいと思うけれど。

今声高に「憲法改正!」「自主憲法制定!」と叫んでいるマッチョなおばかさんたちの声が止むまでは、わたしはそれとごっちゃにされるようなことは言いたくもないし、そんなことには一切加担したくはない。
そんなばかなことをするくらいだったら、60年前の憲法をじっと守っているほうが、まだまし。
断言する。

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