- 2005年01月07日(金) 父と母
『三年B組金八先生スペシャル』を見て、いっぱい泣きました。
親の過干渉でわたしは壊れてしまったと思っているのに、なぜ「両親から引き離され取り残された子ども」を見ると強く反応してしまうのでしょうか?
(まさか父と母がそれぞれそれなりの年齢で死んだことを、わたしが「取り残された」と感じている、なんてことは……あ、ありそうな気がしてきた……)
その後、ある掲示板の記述を読んだら、突然、20年近く前に父が死んだ後、母が「自分を取り戻した」ようにみるみる変わっていったのを思い出してしまいました。
母は結婚してから25年以上父に抑圧支配され、それでも父が脳梗塞で倒れてからは献身的な看病を続けました。
それから4年弱、父が弱っていって母の負担がいよいよ重くなり、母が
「このままではわたしも倒れてしまう。だからほんの少しだけ休ませて」
という感じで老人ホームに2〜3日父を預けたら、その間に父は死んでしまいました。
74歳でした。
母は不思議と
「自分が手を離してしまったからお父さんは死んでしまったんだ」
というような後悔はしませんでした。
実際、あともう少し長く父が生きていたら、母のほうが倒れてしまい、そのツケはわたしや弟に重くのしかかってきたでしょう。
でも、わたしも弟も「男子が家事などする必要はない」という父の方針に従って育てられたため、きっとなーーんにもできずに途方に暮れたでしょう。
そしたら今度は首都圏に住んでいる姉(わたしや弟とは腹違い)が呼び出されて、姉の家庭を壊してしまったかもしれません。
父は最後の最後まで「死にたくない、生きていたい」と思っていたようですが、その最期はあっけないものでした。
そうして、周囲の誰もが、実はほっと胸をなでおろしたのです。
もちろん母は、「最愛の夫」を亡くして2、3年は沈み込んでいたけれど、あるとき
「これからわたしは自分の人生を生きるんだ」
と言って、元気にいろんな活動をするようになりました。
母は自分が死ぬ時には覚悟が決まっていたようです。
亡くなる1週間くらい前、80歳になったばかりのある日、わたしにこんなことをつぶやきました。
「わたしはもう神さまに召されているのに、この体が……」
わたしはその言葉にうたれました。
母が「自分の人生を謳歌した」ことが、父にとってもいちばんの供養だったように、見てきたわたしは感じるのです。