原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2004年12月04日(土) 走り書き

……って、1コ前の「メモ」とおんなじことじゃん。
Blogのせいか、こっちの使い方が変わってきたみたい。

それにしても、こんな時間[5:36 2004/12/05]にわたし何やってるんだろ。
……まあ、今さっきまで寝てたのは確かだけど……(炬燵で転寝するなよなー!また悪夢見て泣くくせに>自分)

さて、いろいろ思いつくことを、走り書き。

「女としての自信」を失っていた。
理由は、手術したところのケアが悪くて、たぶんもう「使えない」ようになってしまった、ということ。

でも、よくよく考えたら、確かに大きなことなのかもしれないけれど、それだけで「女であるかないか」が決まってしまうわけではないのだった。
「一緒にするな」と思われるかもしれないけれど、↑そんなことが基準だったら、戸籍上は女でも「おまえは女じゃない」と言われてしまう人だっているだろう。
そう多くはないにしても。
わたしは、そんな差別的なものの見方に加担するべきじゃない。

「より女らしく」「どこまで女らしくなれるか」みたいなことに、わたしはけっこうこだわってきた。
――まあ、そうは言っても、本当にとことんこだわりぬく人なんかと比べたら、ぜんぜん中途半端だけど。

でも、わたしには結果を見ないうちからこの先どうなるかが見えてしまうところがある。
なので、「わたしがいくらこだわっても、所詮は『真似』でしかない」と気づいた。
とても屈折してはいたけれど、わたしは決して「女の子としての思春期」を送ることができたわけではない。
男子校だったし。(うへぇ

で。
わたしは「自分らしい性」を大切にしよう、と思うようになってきたのだった。
それが「典型的な女」でなくてもいい。
もちろん、何もかも自分の思ったとおりでいい、他人に不快感与えてもいい、などとは思わない。
でも、自分の性がどういうものなのか、自分の中でははっきりしているのに、それを捻じ曲げてまで「典型的な女」であろうとまでする必要はない。

わたしは、(残念ながら)だいぶ男っぽいのだよ。
そういう面を一切認めないで生きていくことはできない。

前のほうで何度書いたけれど、わたしは自分の気持ちを素直に歌にすればいい、と思い始めている。
つくりもののスローガンみたいなことばっかり頭に浮かんできて「うーんこれじゃつまんない」とがっかりしてばっかりいたけれど、もっと軽く考えていいんじゃない、と思った。

波田陽区みたいな歌でもいいかな、とか。
わたしはベースを弾くので「はなわ」みたいでもいいのかな、とか。
いえいえ、別にわたしもお笑いやろう、と思ったわけではありません。
自分の本音の部分を歌にしてしまってもいいんじゃないか、と思うようになった、というだけのこと。

チェット・ベイカーに興味がある。

まだなんかいろいろあったんだけど、忘れた。
書き始めてから他の掲示板とかいろいろ見始めてしまい、今はもうこんな時間[7:53 2004/12/05]。

もうひと眠りしようかな。


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