原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2004年10月10日(日) わたしが共依存

@ケータイ

『ローマの松』(NHK教育)


最近気がついたこと。

わたしは自分のこと、単に依存的なだけだと思っていた。
それで、周りの誰彼を巻き込んで共依存させるのだ、と。
他人の世話など焼く余裕はない、と。

けれど、実はわたしのほうが共依存になっていることも、本当は多いのではないか。
もちろん、「共依存」は「依存」の裏返しなだけで、決して「共依存=しっかり者」というわけではない。
何かにしがみついていないとやっていけない、という点ではどっちにしても「自分がない」のだけれど。

「人のためになりたい」などと思うのは、ほとんどの場合そうすることでしか自分の存在が確認できない、哀れな行為であることが多いと思う。
「自分のためにやっている」という自覚があるほうがまだいい。

よく考えてみれば、わたしが「自分は違う」と思うのも、うかつだったのかもしれない。


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