- 2004年10月10日(日) わたしが共依存
@ケータイ
『ローマの松』(NHK教育)
最近気がついたこと。
わたしは自分のこと、単に依存的なだけだと思っていた。
それで、周りの誰彼を巻き込んで共依存させるのだ、と。
他人の世話など焼く余裕はない、と。
けれど、実はわたしのほうが共依存になっていることも、本当は多いのではないか。
もちろん、「共依存」は「依存」の裏返しなだけで、決して「共依存=しっかり者」というわけではない。
何かにしがみついていないとやっていけない、という点ではどっちにしても「自分がない」のだけれど。
「人のためになりたい」などと思うのは、ほとんどの場合そうすることでしか自分の存在が確認できない、哀れな行為であることが多いと思う。
「自分のためにやっている」という自覚があるほうがまだいい。
よく考えてみれば、わたしが「自分は違う」と思うのも、うかつだったのかもしれない。