原案帳#20(since 1973-) by会津里花
★表紙へ戻る★  ★#22★  ★#26★  ★セクマイ★  ≪前   次≫   ▲目次▲

2004年09月25日(土) 朝の夢 主治医

★1・朝の夢
★2・主治医



★1・朝の夢

(2004/09/27記す)
(ず〜っと前にオンラインで原案帳を書き始めたばかりの頃、ノートパソコンを使っていたので枕もとにそれを置いて目が覚めたらすぐ、その時に見ていた「夢」を書き付けていたことがあった。それの表題が「朝の夢」。久しぶりだな〜……)

夢の中で、わたしはまだ外見的には男の姿をしていた。
わたしは彼女と一緒に、市内にある大きなショッピングセンターにいた。
彼女は、赤いジャンパースカートを欲しがった。
それはとても安いものだった。
安くてしかもそれを彼女がとても気に入った、ということを、わたしは素直に喜んだ。
そうして、こう思ったのだった。
「わたしはこの人のことをこうやって思いやれる人間であることができるんじゃないか!」
とても幸福だった。
同時に、その幸福が、現実には跡形もなく壊れてしまったことも、わたしは知っていた。
いや、わたしが壊してしまったのだった。

目覚めたわたしは、泣いた。
「幸せだった頃の記憶」は、今がそうでないことを残酷なかたちで知らせる。

しばらくわたしは、過去に引きずられて後悔していた。

けれども、今のわたしは今のわたしでしかない。
今からでも、できるだけの幸せを感じ取れるように生きていきたい。
それこそが、彼女に対してわたしができる、精一杯の償いだから。
(そんなこと言ってないで、匿名でもなんでもいいから彼女に送金してやれよ、という声が
わたしの心の中で内陸の冷たく乾いた風のように吹きすさぶ。
でも、いくら焦ってそんなことをしようとしても、双方にとって何も良い結果をもたらしはしない。
もちろん、早く送金できるくらいには健康になりたい。<精神的に
そのための努力は決して欠かしてはいない。
何よりも、自分に対してそう思えるくらいには「回復」してきているのだ。
わたしは、そういう自分をまず自分が評価してやらなくてはいけない、と思う。
まあ、できれば、こっそりと、誰にも見えないところで。
だって、人からよく見えるところでそんなことしても、レベルの低い自慢になってしまうから。
今はまだそれも充分にはできない、っていうか、こんなふうに
「人から見えるところに文字化して残す」やり方でしか
自分を確認できないので、仕方ない。
自然な自己肯定のできる安定した自分を、早く育てたい、けど、
焦るな、自分……)

この記事のトップへ
ページのトップへ



★2・主治医

(※ある掲示板に「ご報告」というタイトルで書き込みしたものです)

ご心配おかけしました。
「事後報告ができない」というのも、わたしの対人関係でけっこう大きな課題です。
(それでかなりの人間関係を失っています。もっとも、そうじゃないとわたしはむさぼるように人間関係を「増やしていく」ところがあるので、自然に淘汰されていくことになるのはある意味仕方ないのかも…… でも、無思慮に「増やしていく」のも不可抗力みたいに「失っていく」のも、むやみやたらみたいになってしまうのは悲しいです。本当はだいじにしたい人間関係を失ってしまうこともあるので……
気を取り直して)

土曜日の午後に「主治医」のところに行ってまいりました。
受付で渡された番号は「76」、今受診しているのは「47」……29人待ち!? という相変わらずの状況。ため息……
先生にちゃんと話せるかどうかの予行演習も兼ねて、まずカウンセラーさん(修行中?わたしと同じくらいの世代の女性)のところへ。
カウンセリングがまるで診察までの「時間つぶし」みたいに扱われているのはすごく「??」なのですが、位置付けが曖昧なことでかえって受ける人が少なくなり、結果的にかなり時間をとってもらえるのです。
1時間くらいかけて、自分がどうしたいのか、どうしてほしいのか、カウンセラーさんに聞いてもらいながらまとめていくことができました。
でも、カウンセラーさんとの「契約」で、カウンセリングは1回30分を目途に、ということにしているので、さすがに時間をだいぶオーバーしているのが気になりはじめ、まあだいたい言えそうだとも思ったしカウンセラーさんも忙しそうになってきて他のことで中断したりしたので、切り上げることにしました。
(そうしないと、わたしはたぶん2時間でも3時間でもしゃべりつづけたでしょう。父からのお説教で長い話を聞かされるのは嫌、とわかっているはずなのに、自分も似たようなことをしてしまう傾向があるのは困ったものです)

受付の若い子に「ちょっと外に出ます」と言ったら、「この近くに最近新しいカフェができたから、そこ行ってみたらどうですか?」と言われて、新しいビルの1階にオープンしたTully's Cafeで時間をつぶすことにしました。
待合室は煙草の煙ですぐにいたたまれなくなってしまうし、禁煙スペースは「ミニ・シアター」だったり「リラクセーション・カプセル」だったりして、ただふつうに(?)「待合室で本を読みながら待つ」ということができないので、外に出て時間をつぶすしかないのです。

でも、行ってみたTully's Cafeは、はっきり言って「ポリシーを失ったスターバックス」という感じで、しかも冷房が効きすぎて寒かったので1時間くらいしかいられず、受付に電話しても「まだまだです」という感じだったので、そこを出て文房具屋さんで30分くらい、それから後はもう仕方ないのでクリニックの外の廊下で本を読んで過ごしました。

で、肝心の(?)「主治医」氏との話合いですが。
2つに分けて考えよう、と話しました。
1.性同一性障害医療について:そちらでは無理なようだから要求はしない。
2.薬に頼らない治療について:なんとかならないか。
結論だけ言えば「どっちも無理だからしかるべき医者がいれば紹介状は出す」ということでした。

でも、でも……
(以前いろんな人から「そういう『でも』を言うのを止めろ」とさんざん言われたことがありました。確かに言い訳は見苦しいのかもしれないけれど、言いたいことがうまく言い切れなくて出てくる「でも」をなんでもかんでも抑え込んでしまうのは、言いたいことを言葉としてまとめることすらも封じ込めてしまうことになるのではないか、という気もします。どちらにしても、わたしは肝心なことを人にきちんと説明するのがすごく苦手なようです。今もそうみたい。ごめんなさい)

わたしは具体的な「これからどうしたいのか」が言いたいだけではなかった。
「主治医」氏は、わたしが最初に受診した時に「ボクはただの薬医者じゃないから」と言った。
わたしのほうからそういう懸念を示したわけでもなかったのに。
その言葉は、わたしの中で、ずっとくすぶりつづけた。
結果的には「先生、あなたは結局自分で違うと言っていた『薬医者』そのものじゃありませんか」と思うようになってしまった。
駅前という立地もあって、抱える患者の数が極端に多くなってしまった、ということもあるでしょう。
でも、人の話をろくに聞きもせずに「ああ、不安があるのね。じゃ薬増やそう…… 薬嫌なの? じゃ、今までの量でいいね。はいっ、じゃあお大事に」という対応を何度もされるうちに、すっかり失望してしまった。
わたしは、彼に対して失望する自分が何よりも嫌だった。
「失望」の元になっている、(もしかしたら根拠に乏しい)「尊敬」というか「理想化」をするのが悪いと言われれば、それまで。
他の医者と出会うきっかけができて(というかそれも「そそのかされた」のかもしれないけれど)、比べてしまったのがいけないのかもしれない。
(↑このような心の動きについて、いくつかのサイトで「境界性人格障害の特徴」として書かれていたので、もしかしたらそういうことなのかもしれません。でも同時に、そんなことを気にしていたら、何一つとして自己主張なんてできないじゃん、という気もします)

「できれば、失望したくなかったです」
と、言うことができました。

診察終了時刻を2時間近く過ぎてしまっていました。
けれど、それでも20分くらいは話を聞いてくれたと思います。
感謝しています。

あとは、個人的に良い医者を探したり、行政や医師会にグループとして要望を出し、少しでもそれに沿った努力をしてもらえるようになればいい。

……と、昨日くらいになってようやく思い切ることができました。
(土曜日当日はけっこう泣きました)
まだちょっと、虚しい感じが抜けなくて、うーんだいじょうぶかな、という気もします。

まだ何か言い足りないことが残っているような気もするけれど、言葉にも限界はあるし、たぶんわたしの中ではっきりしたかたちをとっていないので言葉にしようがないのかもしれません。
かたちになったら、また書かせていただきたいと思います。

あっ、そうだ。一つだけ、自分に対して感じていること。
「自分の要求をきちんとしたかたちにして交渉する能力が弱い」ということ。
ここでは「1.」「2.」とかきっちり分けて書くことができたけれど、実際に話をしている時には二つのことは他のこととも混ざり合って、ほとんどごちゃごちゃでした。
「だから時間をかけて聞いてもらわないと本当に言いたいことが言えない」とまで言ってしまった(笑)
できれば「そんなの無理だよ」と言われても「それじゃあこれこれこうしたらどうですか」と切り返せるだけの機転がきかせられるような知恵がほしいです。

この記事のトップへ
ページのトップへ


★表紙へ戻る★  ★#22★  ★#26★  ★セクマイ★  ≪前   次≫   ▲目次▲