原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2003年10月22日(水) 美空ひばり

(昨夜テレビを見ながら『原案帳#22』のほうに書きかけたんだけど、操作を誤ってせっかく書いた文章をぜんぶ消してしまったので……)

昨夜、帰宅してから何気なくテレビをつけると、美空ひばりさんの歌いつづけた人生についてドキュメンタリーを流していた。
今でも、ひばりさんのことになると思わず涙ぐんでしまう人はけっこういるようだけれど、その多くはひばりさんと同じくらいの世代……だからたぶん今は70歳前後?の女性。わたしもその世代に通じる感性を持ってるのかしら?

ひばりさんは歌いつづけることと生きざま、人柄によって多くの人を励ました。
わたしは、なまじ中途半端な知識や技術を身につけてしまったせいで、ひばりさんのように歌いつづけることからいつもいつもはぐれてしまっていたけれど、これからは決して途切れることなく歌いつづけたい。
わたしにはひばりさんほどの音楽性はないかもしれないけれど、ひばりさんの100分の1でも1万分の1でも、人を励ます歌が歌えたら嬉しい。

ひばりさんは「母親」でもあった。
わたしは「父親」であることを事実上放棄してしまっている。
けれど、わたしは自分がこの社会に受け入れられることによって、ものすごく遠まわしだけれどいつか自分の子どもにわたしの存在が届けば、と願っている。
わたしが良いかたちで報じられているテレビを、わたしの子がたまたま見る、それだけでいい。

昨日、一昨日の疲れがどっと出てしまったようで、たった4時間のバイトもしんどくてしんどくてたまらなかった(4日目くらいの出血もあったし)し、その後スタジオに練習に行くのも動けなくて遅刻してしまうほどだった。
でも、わたしはなんとか生きて、音楽をやっている。

……わたしの体のあちこちが、わたしの寿命がかなり縮んでしまったらしい、と訴えかけてくる。
でも、生きている間に、できるだけのことをしていこう。

当面の課題は、音楽やGIDの活動だけで、自分1人が生活するのに困らない程度の収入を得ること。
現代日本はこの面ではものすごく貧困で(たぶんいわゆる「先進国」のうち最低レベル)、わたしが↑のように書くと「そんなことできるわけねえだろう、バカが」と思う人がかなりたくさんいるだろうと思う。
確かにそうかもしれない。
わたしよりもずっと音楽的に「高級(=多くのお金をもらえそうな品質の音楽をやっている、という意味)」な人たちでさえ、どうやらそれだけで生活しているのではなさそうだ。

けれども、わたしがミュージシャンな理由にも書いたように、他のことができて長続きする人だったらいいけれど、わたしは音楽のほかにまともにできる仕事がないのだ。
予備校講師の仕事は好きだったし一生懸命やった。
けれど、それは結果的にはわたしには過大な負担で、あまり多くの成果を生み出さないうちにわたしの心を蝕んでしまったのだった。
それがわたしの限界だったし、三たび同じことを繰り返して自分の心をあれ以上ぐちゃぐちゃにしてしまいたいとは思わない。
店員の仕事は体力的に不向きだ。
頭を使う仕事がしたいとは思うけれど、何か収益につながるようなかたちにまとめ上げる能力はあまり高くない……というより、特定のテーマ以外ではかなり低いようだ。
「特定のテーマ」が、音楽なのだ。

ああだこうだと言い訳しているけれど、昨日みたいに疲れきってしまって「死」と隣り合わせになっているような気分になってしまったときにそれでも生き続ける元気を、と思ったら、わたしは「音楽」を支えにすることで自分を保っている。
わたしにとって、どうやらそれが「正解」らしい。

これからも歌っていこう。生きよう。

[7:21 03/10/22]


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