原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2003年09月05日(金) Live! Live! Live! (←頭いっぱい)

会津里花の告知板に、次回のライブ予定を追加しました。
もうこのところぜんぜん使ってなかったので、見ている人は少ないと思いますが、時たま更新しますのでチェックよろしく!

あとそれから、
ライブ用チラシの画像もUPしました!
(ちょっと重たいかも?約153KB)

★1・食べられない



★1・食べられない

どーしましょ。
体に力が入らない。
ものを食べる気になれない。

DVと音楽のこと(それぞれはぜんぜん別のもの)を考えると、食べられない。
(そういえば原案帳#22にもそんなこと書いたっけ)

音楽をやっている自分を思う。
そうすると、かつてDVをやってしまったことのある人間と同一人物だなんて、とても信じられない。

DVは犯罪だ。
↑何度だって繰り返してやる。物理的暴力も、心理的暴力(それはよく「支配」と呼ばれる)も。
けれど、DVを引き起こす人間の人格を全て否定し、圧殺するような言動には、断固として立ち向かわなくてはならない。
「理由があるんだから暴力ふるってしまったことも許せ」みたいな、幼稚なことが言いたいんじゃない。
DV加害者の全人格を否定してしまったら、それこそDVの再犯が防げないだろう、ということだ。

それとも、DV犯はとりあえず全員死刑にする、とか?
そんなことしても、人類が最後の2人になってもDVはなくならないだろう。

ああそうか、わたしが死刑に反対する大きな理由はそれだったんだ。
死刑によって犯罪が抑止されるというのは大嘘で、むしろ死刑に値するような犯罪の再生産に加担していると思う。
上にも書いたように、人類が最後の2人になっても、死刑という制度が存在する限り死刑に値する犯罪はなくならないだろう。
そんなことするよりも、死刑に値する犯罪を死刑以外の方法で抑止することをこそ、考えるべきではないのか。
こないだ地元の新聞に「被害者の家族の気持ちを考えたら死刑は当然」というような読者投稿が載っていたそうだが=わたしは相変わらず地元紙は読まない。あれの思い出にもトラウマがあるから。だからこれは記事の転載を見たのだけど=、たぶん投稿者は被害者の家族の気持ちなんて理解できてはいないだろうし、想像力もはたらいてはいないに違いない(投稿記事の文面を見るとそんな雰囲気がぷんぷん漂っていた)。
一般論だけで「正義」を振り回す人間を見ていると、自分が「清く正しく美しい」ことをすることで、実はどれだけの人間を苦しめているかなどということは、全くわからないのだろう、と哀れになる。

うわぁ……
わたし、けっこう具合悪いじゃん。
音楽やってるときだけは調子いいのに。

楽器を抱えたままで寝転んでしまうとか。
町を歩いてみるとか。
(買い物するとか……は、ダメ。ストレスたまるだけ)
整体に行ってみるとか。(これもお金かかるなあ)

お金、ほしい。
100万かかった体を使えばそれに見合った収入があるかもしれない、とは思うけど、それはやりたくない……
(セックスワークを否定しようとは思わないけれど、少なくとも自分がそういう仕事をしながら頭を高く上げていられる自信はない)

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