原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2003年08月27日(水) ライブ中止の理由 DVとシェルター

★1・ライブ中止の理由
★2・HP更新



★1・ライブ中止の理由

今回のライブ中止は、とても残念だった。
けれど、無理して走っていたら、いろんな意味で大きな損害が発生していたことだろう。
精神的にも、経済的にも……
中止してしまうのは、その気になってくれた人には大きな迷惑になることだと思うけれど、あえて勇気を持って決心した。
そのことを、ライブのゲストにあたる「MIWA+よっちゃん」に、メールで説明した。

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MIWAさん、よっちゃん
本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません。
困っていることでわたしに振ってしまえばどうにかなることは、ぜんぶ振ってください。

今回中止にした理由。
「1500円の価値のあるもの」について、見込みが甘すぎました。
「こういうことをやれば」と思っていたこと、こないだのど〜るライブで全部やられてしまった。それも、無料に近いかたちで。
確かに、これだけじゃあ「1500円」はムリ、と思い、他に何か付加価値の高いもの、と考えたけれど、準備期間があと1ヶ月を切ってしまったのに今からできることなんて、ない。
付け焼刃でいいかげんな企画をしても、ぼろぼろになるのは目に見えているし。
そういうことがわかるにつれて、わたしの気持ちはがたがたになってしまい、このままでは危険な状態になるだろう、というところにまで落ち込んでしまいました。
メンタル医のところにも先週から2度ほど続けて通わなければなりませんでした。
「中止」を決断してやっと、精神的には少しずつ改善しつつあります。

わたしが今度の企画をしたいちばん大きな動機は、お店の常連さんや出演している人たちにMIWA+よっちゃんを知ってもらいたかったからでした。
ところが、その人たちはみんな口をそろえて「1500円じゃ高い」としか言いません。
わたしはそれに反論できませんでした。
彼らの知っているわたしの音楽では「平日のcharge300円」にしかならないのでした。
それに「見ず知らずのフォークデュオに1500円を投じるのも」、とためらってしまうのでした。

MIWA+よっちゃんの音楽をより多くの人々に知ってもらいたい、という気持ちは変わらないけれど、逆にご迷惑をかけるようなことになってしまったのが大変残念です。
楽しみにしてくださった人たちにも申し訳ないと思います。

ただ一方的に「止めます」とだけ通告するのでは、お二人とも納得できないだろうと思って長々書きましたけど、所詮は「言い訳」にしかならないと思います。
せめて説明する責任だけでも果たせれば、と思います。
これからは、もっとまわりをよく見ながら、いろんな人に相談して企画したいと思っています。
やるなら「1500円でも安い」と思えるような付加価値のあるものを。

本当に申し訳ありませんでした。

会津里花


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いつか「ええっ!? そんなライブがこんなに安く聴けるの?」と言われるようなライブを企画したい……!
とは言っても、わたしにもともと企画力があるわけではないので、せめてそういうライブを企画してもらえるようになりたい。
わたしが勝負できるのは、あくまで「歌に込める気持ち」だけ。
正直言って、誰もがうっとりするほど上手なわけでもないし、聴く人の気持ちをとりこにするような名曲を持っているわけでもない。
技術的にはこれからもいくらでも磨いていこうと思うしそれはできるだろうと思うけれど、歌はなかなかできないし、若さだけで輝いていられるような年でもない。
わたしにしかない魅力は、わたしが歌う歌に込める気持ち、それだけ。
ひとつの歌に必ず一人の思い出。
わたしにとって、歌は人間そのものと同じくらい大切なものだ。
それを多くの人に伝えられるようになりたい。

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★2・HP更新

DVと会津里花」というページをつくり、そこに8月25日の日記へのリンクを設けました。

被害者(だけでなく、実は加害者も)の傷が生々しく、痛みが激しくて耐え切れないような時は、被害者を脅かさないような(あるいは加害者が逆上してしまわないような)、安全な場所が必要なのだと思う。
それは、被害者にとってはシェルターであり、加害者にとっては、もしかしたら警察なのかもしれない。

でも、だとしたら、加害者を受け入れる警察の組織や施設は、加害者にとって適切なものであるべきだろう。
いくら「加害は加害」でも、その当事者の人権を蹂躙するような扱いしかできないようなところだったら、加害当事者の認知のゆがみは正されるどころかよりゆがめられ、社会の敵を警察が増産することにしかならないだろう。
その意味でも「DV防止法」はより充実したものに改正されていかなければならないと思う。
「殴られた現行犯以外は相手にされない」などというのはもちろん論外だと思う。

(ただ、そうすると、「警察の存在意義と役割」について、より深い認識が必要になるのではないか……
少なくとも、今のわたしにとって警察とは「胡散臭い、疑り深い人格を養成して、偏った価値観にしたがって『秩序』を形成維持しようとする人たちの組織」のように見えることがままあるから。
あ、でも、わたしが「男のフリ」していた頃と比べたら、今はかなりそうした不信感は消えている!
少なくとも今は、昔みたいに「警察は『オレ(=わたし)』の敵!」などと思う必要を感じない。
頼りないけど、助けを求めればそれなりに役に立ってくれそう、と思える。
……今更だけど、女に戻ってよかった)

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