原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2003年05月13日(火) 「杏野坂」へ

★1・「杏野坂」への書き込み
★2・和解する、ということ



★1・「杏野坂」への書き込み

わたしは自分のことについては簡単にさらけ出してしまう癖がある。
それは「隠しておこうとしても、どうせいつかはばれてしまう」
「自分のことについては、もうできるだけ隠さないで生きていきたい」
という思いが強いから。

で。
杏野丈ホームページhttp://www.harikatsu.com/の掲示板(通称「杏野坂」)で
「berber」と名乗っているのはわたしですm(__)m
(あと「杏野坂」http://www.harikatsu.com/bbsryou2/light.cgiはケータイでも閲覧できますよ♪)
(完全にばればれなのに、今ごろ追認するのはなんかカッコワルイけど(-_-;)

で。
その中で、最近書き込んだ内容は、本当は本来のHN=筆名「会津里花」で書きたかったほど、
「自分自身のこと」を書いている投稿があるので、それをこっちにコピペします。
だいぶ長いけど。

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[8408] Re[8358]: トランスジェンダー 投稿者:berber 投稿日:2003/05/13(Tue) 03:28

(一部略)
J由美さん、お話するのははじめまして。
(だれかれなくレスをしてしまう今の私はちょっと節操ないように感じますが、個人的にいろいろと流れがあるもので…… 少し私の意見も言わせていただければ幸いです)

> 日本に、トランスジェンダー当事者の社会的運動は、まだ、ないのでは?
>
> 社会的運動の担い手は、医療を求めてる人たち。
> それらの動きは、当事者を取り巻く状況の中から生まれてきた。
> 戸籍変更の法制化の運動は、当事者の必要性から生まれたもの。
> 法的整備と社会的認知を求める動きは、医療求める人たちがしている。
>
> 医療を求めぬ当事者の間から、運動が生まれなかったのは、
> 運動をおこす「必要性」が薄かったからでは?

そういわれてみれば、本当にそうですね。
私も、日本とアメリカでは社会文化のあり方など、本当はかなり違うはずだと思います。
歴史的経緯で、なんとなく「日本はアメリカの後追いをしなければいけない」みたいになってしまっているし、世界全体……いや、少なくとも何割かを占める「多数派」と呼べるグループの中では「アメリカのようにふるまう=正解」のような風潮は数十年続いてきたと思いますけれど、それもかなりの破綻を来し始めている。

アメリカの場合に大きく特徴付けられるのは、過激な宗教観からくる激しい差別とヘイトクライムではないでしょうか。
「敬虔なクリスチャン」と自ら信じているアメリカ人の中には、たぶん今でも「神から与えられた性別を恣意的にいじくるのは神への冒涜」「許されない、死に値する罪」と捉える人が少なくはない(またはなかった)と思います。

そういう文化・価値観に対抗して「自分の居場所」を確保しようと思ったら、医療や法とは全く違った基点から「社会運動」の必要に迫られる当事者がたくさんいても、全く不思議じゃないでしょう。

でも、幸いなことに、そういう「原理主義的クリスチャン」は日本にはほとんどいなくて、むしろそういう人たちのほうが少数派で「堕落した日本の社会」を「呪って生きている」ような状況でしょう。
(私はちょっとだけそういう人たちと接したことがありましたが、その人たちは宗教に名を借りて自分たちの不遇を全て「日本人の不信仰」に求めているようなところがありました。当然、私はすぐに居場所を失ってはじき出されてしまいました)

私自身もたぶんまだ神さまには忘れられていないと思うので「クリスチャン」と自称させてもらいたいけれど、聖書や信仰の名のもとに他人を差別することを正当化するのは、決してキリスト教の信仰ではないと思います。
そうしなければならない何かに突き動かされてしまうのは、できれば目をそむけていたい「血塗られた過去の歴史」に迫られて、それを認めたくないからなのではないか、と悲しい気持ちにとらわれてしまいます。

その意味では

> 日本とアメリカが同じ流れになるとは、思えない。
> 日本で、トランスジェンダーが、包括的用語になるかは、未知数。

とおっしゃっているのは、私も同意見です。
もちろん、日本にも主にアメリカからの影響で、トランスジェンダーを「気持ち悪い」とか「おかしなことをしている」と捉える「常識」のようなものが広まりかかったのかもしれないけれど、幸か不幸かアメリカの権威は「冷戦終結」以来日本にとって実質的な意味を持たなくなりつつあるので、影響は退潮になってきているのではないでしょうか。

むしろ、三橋さんが折に触れておっしゃっている日本文化の性に対する「柔軟性」を、回復しつつあるのではないでしょうか。
そういう「雪解け」に「トランスジェンダリズム」と名づけることがあっても、それはかまわないこと、あるいは喜ばしいことと言っても言い過ぎではないかもしれません。

> 「多様な当事者が、互いに居心地よく生活できる。」
> そういう明日が訪れること、期待します。
> (期待するだけでは、訪れないけど。)

私は期待してもいいと思いますよ。

ちょっとずつ、いろんなかたちで、歴史の流れに沿って、歪んだものがきれいなかたちになおってくる、戻ってくる。

一人ひとりは自分自身の実感や生きる必要性から自己決定していても、それが不思議なくらい「歴史の必然に沿っている」ということもあるのだろうと思います。

あっ、でも「新時代のジェンダー概念」まだちゃんと読んでなかった。
私も読みますね。
もしかしたら重複して言ってるところもあるかもしれないし、読めば簡単に「間違い」だと気付かされることもあるかもしれないし。

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[8422] Re[8417]: ついでに 投稿者:berber 投稿日:2003/05/13(Tue) 11:47

宮崎さんのせいかどうかはわからないけど、私も?どの言葉で自分をくくってしまうのも、なんだか違うな、と感じてしまいます。
地雷覚悟ですごくはっきり言います(偏見バリバリ):

・「トランスジェンダー」ほど中途半端でいたくない。
 体をいじらない人とは、お友達にはなれるかもしれないけれど体を変える(戻す)かそうしないか、という点で共感できないような気がする。
・「ニューハーフ」は男であることが前提。
 それに、もう辞めちゃったし。
・「性同一性障害」はもう解消してる。
 それ「だけ」は克服できたように思うのです。

あと、残念ながら(←っていう言い方も偏見バリバリ):

・「TS」といえるほど純潔ではない(??? なんでー??? 自分でもどうしてこういう感想が出てくるのかわかんない。でも感覚的にそういうのがある)

最近は、受け入れてもらえるかどうかは別として自己紹介は「元男だったことのある女でーす♪」と言っています。
それがいちばん自分らしいと感じるので。
もしも突っ込んで言わせてもらえるなら「戸籍上はまだ男です(-"-;」と付け加えることはあるけど。

新しい言葉を持ち出してそれを相手に「教えてあげる」みたいなことをするのは、なんだか選民思想につながりそうでイヤ……
なので、オフラインの日常では「性同一性障害」も「トランスジェンダー」も使いません。
それらの語について長ったらしい説明をすると、他にもいっぱい言いたいことはあるのにその前から「くどい説明的なおしゃべりの長いやつ」と思われそうで、怖いのです。

もちろん、医療の現場では「性同一性障害」という語を使ってお話することもあるけれど、私の場合……
「性同一性障害だから〜〜という治療をやっています」という「治療証明」をもらいはしたけれど、「この人は性同一性障害です」という「診断」は、実はもらったことがないのです。
仕方ないです、(ガイドライン第1版でいうところの)「逸脱例」ですから、私は。
なので、自分でも「おまえ(=自分)本当にGIDか?」という気もするし、やたらとそういう「病気」だという言葉を振り回す気にはなれません。

バイトに遅刻した言い訳に「実は私、性同一性障害で……」などと言ったら、「性同一性障害は遅刻するという症状があるのか!」と思われてしまったりして?
それはヤバいでしょう。
私の「悪い癖」「精神症状」といったものは私固有のもので、それと性同一性障害をごっちゃにされてしまうのは、他の当事者の方たちに迷惑だろうと思うし、私もそういう言い訳はしたくないのです。

# 朝日には思いっきり「性同一性障害乗り越え」などと書かれてしまったけれど
# そのほうが朝日のレベルだとわかりやすかったからなのかなあ、と
# ちょっと不満げな気持ちになってしまうのが正直なところです。
# まあ、あんなふうに書かれてしまった以上は、どこかで発言するチャンスがあれば
# 「性同一性障害」といってもそれに該当する人の数と同じくらいさまざまで
# 簡単にくくってしまったりしないでください、
# 私のことを決して「典型的な性同一性障害者」などとは思わないでください、と
# 言っていかなければならないのでしょう。
# 以前どこかで「××が性同一性障害の代表みたいに思われるなんて絶対イヤ!」
# とかいう反応をされて、私べつにぜんぜん代表になってないのに?と不思議だったけど
# 他に同様の情報に触れる機会のない人にとっては、へたすると私=性同一性障害(の全て)
# ということになってしまうのも仕方ないことなのかもしれません。
# (「全てか無か」みたいな反応もやや病的だと思うけど)。
# まあでも、うちの地元で朝日の地方欄を読んでる人は、
# たとえば地方紙を読んでる人(「購読率60%!」とか威張ってた)よりもかなり少ないと思うので、
# 影響力は低いと思います。
# っていうか地元紙ではほとんどGIDについては扱えないのでは(そういうレベル・体質)


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特に後のほうの文章は、誰かさんに「自分のとこでやれー!」と言われても仕方ないかな、という気がする。

それと、書いていて、いちばん最後のほうの「朝日新聞がどうのこうの」というくだりは
朝日の記者の方に申し訳ないような気がする。
確かに「性同一性障害」という語を使って離したほうがわかりやすい場面はあると思うし、
朝日の取材&記事こそがまさにそうだったのだ、と思う。

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★2・和解する、ということ

今のわたしにとって「和解する」といったら、相手は「元パートナー」のNさんしかいない。
昨年から今年にかけて、お正月が来るたびに「もう『元パネタ』は書かない」と言い、
確かにこの日記にでもどこにでも、できるだけ書かないようにしてきた。

でも、今日、ある人とそのことを突っ込んで話していて、気持ちが変わってきた。

いつまでも彼女と異常な関係でいるのはいやだ。
彼女の心の傷が癒えるには、まだまだ時間がかかるかもしれない。
でも、癒す努力は、わたしにだって少しはできるのではないか。
「関わらない」というかたちでしか彼女への癒しが成り立たない、
それまでわたしはただひたすら彼女を恐れ、同じ町でも彼女の住んでいる方面へ行くのを
まるで魑魅魍魎の住処へ入り込むような気持ちになってしまう、……
というのは、あんまりじゃないか。

わたしはほんのわずかでも、彼女と和解する方向へ努力をすべきだ。
そう思った。

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おまけ:屋久島インナーネットソース#49


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