- 2002年12月19日(木) 血液型の話
★1・血液型は性格を決めない!!うううーーーーーーん……
以上、12/20記す。
どうしても人に分かってもらえる言い方ができないようだ……
困った……
と、悩んでいるけど、
私が最近(といってもここ数年)思うこと。
「血液型で性格は決まらない」
たぶん、半分くらいの人が「そりゃそうだろう」と思い、
あとの半分くらいは「え? 会津、考え方変えたのか?」と思うかも。
ビミョーなんですよ、このことは……
誰か私以外の人が同じようなこと言ってくれないかなあ。
他人の言葉として聞けば、どこがどうわかりにくいかとか
判断しやすいだろうけれど、
私一人しか言ってないことだと
ぜんぜん客観的に見れないんだよね。
んで。
「血液型は性格を決めない」
影響はあるかもしれないけど。
でも、それにしたって「たまたまそういうふうに影響しただけ」で、
違った方向に影響することだって充分あり得る。
私の血液型に対する見方:
1)血液型は「体質」であり、性格には間接的な影響しか及ぼさない。
2)血液型の分布によって人間関係などに影響を及ぼすことがある。
……ああ……まためんどくさくなってきてしまった……
1)血液型は「体質」であり、性格には間接的な影響しか及ぼさない。
について。
思い浮かぶ例をいくらでも挙げてみよう。
a)例えば、「二重瞼で眉毛がとっても濃い人」がにっこり微笑むのと、
「一重瞼で眉毛が薄い人」がにっこり微笑むのと、
たとえその微笑の意味が全く同じであっても他人から見たら
ちょっと印象が違って見えるだろう。
b)例えば、太って汗かきの人と痩せてさらっとした感じの人が
それぞれ「お疲れさま」と言うのを聞いた時、
言葉の意味もそれに込める気持ちも全く同じだったとしても
その言葉を聞いた人はほんのちょっとだけれど違った印象を受けるだろう。
c)例えば、花粉症にかかっている人とかかってない人は
外見的には違いがわからないだろう。
上の二つの例と最後の例では、言いたいことが違う。
a)とb)で言いたいのは、要するに「遺伝的な理由で体のかたちが違えば、
全く同じ表現をしても受ける印象は(たとえ僅かにでも)違う」ということ。
一方、c)で言いたいのは、「(遺伝的であれ後天的であれ)体質そのものは
外見的に見えないものもある」ということ。
つまり、「血液型」というものが実は何か、といえば、
外見的にわからない(わかりにくい)体質
ということになるのである。
で、強いて言えば、体質のせいで、外的環境や内的環境のある面について
敏感だったり鈍感だったりすることもある、と。
それが「性格」に間接的な影響を与えることは、あるかもしれない。
ただし、「×型だったら必ず〜という性格になる」というようなことは
断言できないと思う。
2)血液型の分布によって人間関係などに影響を及ぼすことがある。
について。
これも、まとまらないけど思うことをただ列挙してみよう。
a)日本人の場合、A型が約4割いる。
ランダムに5人の人と出会えば、そのうちの2人が「同じ」A型である確率が高い。
そのせいか、時々
(私=B型にとっては決して当然とは思えないようなことを)
「いつでもどこでも誰でも必ず当たり前のこと」
であるかのように言うA型の人がいる。
もちろんA型の全員がそう、とは言わないけれど、たまにそういう人に出会うと
「だから野放しのA型はたちが悪い!!」と、かなり悪意を感じてしまう。
まあ、「野放しの〜型」が「たちが悪い」のは、どの血液型にも言えると思うので
A型だけを責める気はしないけど。
b)一方、やはり日本人の場合だが、B型は約2割。
5人に1人。
これってすごくビミョーだと思うけど、もしかしたらそのせいで?
「自分だけ違う」
と「社会に対する違和感・疎外感」を抱いている人があんがい多いような気がする。
私には、なんだか「5人に1人(約20%前後)」という比率がすごくビミョーだな、と感じられるのだ。
だって、比率の問題だけで言えばAB型のほうがもっと少なくて「10人に1人」だもん。
でも、AB型を見る限り、「自分だけ違う」と言う人とは出会ったことがない。
もしかしたら、B型が特に「自分だけ違う」と思いやすい「体質?」なのかもしれない。
(できることならB型が最多のインドに行って、そこの人たちと関わってみたいものだ)
でも、ぜんぜん違うかもしれない。
今のところ、私には結論が出せない。
c)ここまでO型について触れていないけれど、
私にとって、あんがいわかりにくいっていうか見えないのがO型なのかもしれない。
A型やB型は、私が見ていてとてもわかりやすいパターンを持った人をよく見かけるので
上のa)やb)のようにある程度はっきりしたことを言えるけれど、
「O型には〜の人が多い」みたいなこと、今は思いつかないのだ。
もしかしたら、私の元パがO型だったので、彼女に対する無意識の「バリア」のようなものが
私にO型を語ることを抑制しているのかもしれない。
でも、そういえば、私はけっこうしばしばO型の人から「コントロール」される。
別にコントロールされていてもかまわないことも多いけど、
時々それがむしょうに鬱陶しく感じられることがある。
O型にコントロール欲求が強いのか。
それとも、私がコントロールされやすいのか。
それはわからないけれど、私が人間関係を取り結ぶO型の人とは
しばしばこの「コントロールする・される」の関係で
正直言うと「嫌な思いをする」ことがある。
(ただ、最近になって、こちらが意識的にうまく「距離をおく」ことで
O型の人ともあまり危険を感じないで付き合えるようになってきた。
今のところ、成功率は7割前後かな?
ともあれ、これは付け加えるに値することだろう。
逆に失敗例:元パ、元「共依存相手」……うう、思い出すのも辛い……
でも、これらの経験を後に生かすことで、彼らとの苦い思い出を
少しでもプラスにできれば、と思う……)
d)AB型の人について、私は他の血液型について言えるほど多くのことを知らない。
理由は単純で、「少ないからよく知らない」だけのこと。
でも、それって誰でも多かれ少なかれそうなので、時々そのことが原因で
「AB型差別」のようなことが起きてしまうと思う。
それはとても悲しいことだ。
私がこれまでに知り合ってAB型だとわかっている人には
私にとって「尊敬できる高い能力」を持つ人が多い。
それだけはいえる。
---------------------------------
あーあ。
けっきょく今回も、「体」のことと「心」のこと、それから「関係性」のことを
ごっちゃにして書くことしかできなかった。
こういう分野に対するアプローチを、誰か体系づけてくれる人、いないかな。
(たぶん「哲学者」と呼ばれる人たちの仕事になると思うんだけど……)
どなたか、分析求む。