- 2002年06月16日(日) 限界設定 芸術劇場
★1・
★2・限界設定
★3・芸術劇場
★4・↑なぜか間違いばっかりしちゃった(-_-;
★5・あ、何か思い出しそう……[7:11 02/06/16]
お店から帰ったばかり。
どうしても気になることがあったから、ネットにつなげて、見たいところを見た。
けれど、私には納得できなくなってしまった。
とは言っても、(私に対する批判者とは)議論なんかできない、と思った。
だから、本当は批判の元になるような書き込みも、しなければ良かったのだった。
まあ、でも、こうなってしまったことはしかたない。
今は少々「ブレ」があっても、
とりあえず薬の力でいくらかまともな行動がとれるので、
批判者の言葉も私にとっては励まし、という程度に距離をおいて
できることをしよう。
今まで、こういうことがあると、やたらと
「鬱だ」
とか言って身動きできなくなっていたけれど、
もしかしたら批判者が私のことを気にかけるのは
私が相手の土俵の近くまで来ているからなのかもしれないので、
相手がその人自身の生活を
(いろいろと苦しいこともあったみたいだけど)
誇りに思っている以上、
私もその誇りを借りて、自分の力としたい。
神さま 私にお与えください
変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものを変える勇気を
そして この二つを見極める賢さを。
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そうそう、今は早く寝なくちゃ。
今の私にどうしても必要なのは、表現者としての鍛錬だ。
はっきり言うと、
私はこうした「自己表現」を積み重ねていくことで
私が経済的負担を一方的にかけている
元パートナーを
経済的に支援できる状況を作り出したいのだ。
口約束でしかなかったし、
同じく口頭でだけれど「もういらない」とまで言われてしまったので
子どもへの「養育費」は、とりあえず支払い義務がなくなっていると思う。
でも、だからといって、道義的にも「もういいや」とは、思えない。
私なりに、してあげられることをしたいのだ。前に引用した
「家族という名の強制収容所(アウシュビッツ)
http://trauma.yi-web.com/Auschwitz/」
からの「そのとき私が心に決めたこと」を、自分なりにチェックしてみる。
1. 悲劇のヒロインの真似はもうしない。
↑これ、今はなんだかわからない。
2. 辛くて苦しい時はちゃんと表現する。
↑いやっていうほどやってるつもりだったけれど、あんがい「泣けない」ことが多い。
今でも、まだ。
3. 限界設定を自分で決める。
↑もしかしたら、これを今考えるべきか……?
*お酒:「飲めないから」と言っておとなしくしていることはできるようになってきた。
*ネット:これが問題。ちらっと思いついたのは
「他人のHPには余裕のある時以外はできるだけ行かない」
……いやいや、それでも仲良しさん(=見てもストレスがない)ところはまあいいか。
「ストレスがある」のは、例の「2ch」とか。
全員匿名で特定個人の個人情報までさらし者にして、
根拠の薄い誹謗中傷を並べ立てる。
管理人さんは「そういうことはやめろ」と言っているけれど、
「匿名が原則」になってしまっているのなら、
私ほどでなくても精神的に不安定なところのある人は
オフラインだと決してできないような「野蛮な対話」をしたくなるのも無理はないだろう。
(だから私は危険を承知で匿名はいっさいやらないことにしたんだけど)
ならば
「2chは週の途中のヒマな時以外は見ない」とか。
そうすると、レスが多くて流れてしまい、なんだかわけわからなくなっちゃうけれど、
もともと「話題についてく」義務はないので、そのせいで入り込めないと思ったら
ロムだけで終わり。
*「ネット」でもう一つ。いわゆる「ネットサーフィン」みたいなこと(? よくわかんないけど)も
できるだけヒマな時以外はしない。
ていうか、自分のHPの掲示板のレスとかを大切にするほうがよっぽど重要なのに。
とりあえず、中途半端だけど↑こんなふうに考えてみました。
4. 順次、害のないアディクションにシフトしていく。
↑せっかく「表現者」であろうとしているんだから、
それ以外に「お金になるから」とかで仕事をしてはいけないのかも。
お世話になりながら迷惑かけっぱなしのコンビニは、まあ物理的にたくさんの時間をとるわけではないし、
同僚がとってもいい人たちばかりなので、
辞めない。
でも、他のバイトとかには飛びつかない。
今振り返ってみれば、求人雑誌とかいきなり何冊ももらってきて
よさそうなところに片っ端から電話をかけまくる私は、
私自身から見てちょっと突出しすぎていて、異様だ。
そういうことに、早くきっちり気付くことができるようになりたい。
(塾のバイト、無理して闇雲にやることにして、自分で「無理」がわかってるから
「それはできません」が言えずに破綻した……というばかな「わかほりさん」を繰り返したのが 本当に辛い。
巻き込んでしまった人たちには、本当に申し訳ないです)
5. 選択肢は必ず三個は考える。
↑頭では一般論みたいにして一応「わかる」けれど、
私にとってどんな時がそういうことを要求される場面になるんだろう?
……つまり、これもぜんぜんわかってなーい。(-_-;
6. ゲロの始末は一人にはさせない。
↑ターゲットを決めてその人に「集中攻撃」みたいな
「わかって!!」「かまって!!」をするのはいけない。
あるところに
「ここの話題とあんまり関係ないんだけど、ちょっと落ち込むようなことがあって……」
と書いたら、思いのほかちゃんと泣くことができて、
すっきりした。
ああそうか、こんな感じのことか。
と、思った。
今のところ、こんなもんかな。(なぜか何気なく
『文芸部雑記帳
http://www61.tcup.com/6114/jackiematthews.html』
に書き始めたらそのまま原案帳の内容になっちゃったので、
こちらに転記します)
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日曜日の深夜はこれ!>NHK教育『芸術劇場』
今、江戸時代ごろの舞踊をやっています。
(ああ、なんだかお店のショウタイムで先輩たちがやっている、
ソロダンスを思い起こしてしまいます)
踊っているのは、振り付けは「女踊り」(女性的な振り付け)だけど、
踊っている人自身はなんだか上背があって
「女形?」と思わせるようなすらっとした体形に見える。
最初の紹介のところをよく見ていなかったのでよくわからないけれど、
もしも女形だとしたら、
今の私の目には、ほぼ完全に「パス(^^;」してる。
だって、女性にしか見えない体形、姿勢、身ごなし、なんだもーん!!
素敵♪
それにしても、『源氏物語』を元ネタ(確かこういう言い方は歴史的に正しいはず)に、
日舞を創作してしまうなんて、
江戸時代って面白かったんだなあ……
あと、いつも思うんだけど、音楽を演奏する形態が、
今やってるのだと
三味線、太鼓、謡(うた)い、三種類が各々4人ずつ、という編成。
当然、音を大きくしたいから人数がいるんだけど、
それって西洋のオーケストラと全く同じ発想。
ということは、
日本の江戸時代に、同時代のヨーロッパで形成されつつあった
「大衆社会」とよく似たものが形成されていた、ということ?
あーもう、基礎的な知識の薄さが悔しい。
だから私は「文学方面」に進みたかったのに。
父親の価値観(だけじゃないけど;当時の日本にはまだまだあった風潮っていうか)
「つぶしがきかないから」といって法律なんかに進学して、
私は全くやる気をなくしてしまっていたのだった。
本当に絶望していたのは、
実は「未来を信じよう」「人間を信じて生きていっていいんだ」
といようなスローガンを掲げていた
「うたごえ運動」
に参加していた、学生時代だったのだ。
(以下、転載にあたっての追記)
(そこでいろんな友人を得たことは、絶望とかとは別の部分で
とても有意義だったと思うけど)
人間性の「陰の部分」がまるで「なかったもの」のようにして表明される
「人間中心主義」は、
屈折した胡散臭さを抱えていても仕方なかったのかも、と思う。
私自身もけっきょくそういうことになっちゃったけれど、
「恋愛対象探しのためのサークル活動」という点では、
当時私が「軽蔑」していた「お遊びサークル」と
本質的に何も違わないのだった。
サークルのその後は、けっきょく夥しい「カップル」を生み出して、
でも後の世代は継承されず、変質〜解体してしまったのだった……
でも、法律に入ったことから「経済法ゼミ」に参加することができて、
それはそれで素晴らしい出会いだった。
(以下追記終わり)
……なんて、こんなところに書いたけど、
「原案帳」に転記しようっと♪
(それにしてもきれいな踊り♥)
もう一つ、追記。
オーケストラみたいな器楽のついた日舞って、
実は明治維新以降の形態だったらしい。
あーもう、本当に、ごくごく基礎的な知識がないのが恨めしい!!前の記事、なんだかやたら間違いばっかり書いている。
日舞を踊っていたのは純女さんじゃないの。
しかも、最初に見ていた舞踊も、どうやら「近代」に入ってからのものであるらしいし。
あ、そうそう。
なんか、最近のNHKって「BS」の宣伝ばっかり。
こんなに商業主義的なNHKって見たことない。
まあ、政府の意向として「BSの普及」みたいなことがあるのだろう。
ちょうどワールドカップもやってるし。
……ただ、
うちの弟Fくんがあまり乗り気になってくれないのは、
BSでは「どうしても続きが見たくなっちゃうバラエティ番組」が
彼にとっては「ない」からなのではないか。
っていうか、あの人にとっては
「たまたま見て面白かったら続きも見たくなる」
「笑えればなんでもいい(ストレス発散のためのもの)」
というような意味しかないのかも。>テレビ
ある意味、それは健康的だと思う。
だって、テレビにアディクトしてないんだもん。
むしろ私のほうが危ない。
だって「歴史もの」だとか「自然もの」とか、
そういうのが好き、と思ったら
「BSで映画を放映しまくる!!」と言われれば
「それも『必要』!!」
と思ってしまうから。私には、なぜか「幸せな雰囲気」のイメージが、
ふっとわいてきてしまう瞬間、というのがある。
今、私は家の1階にいて、
上の階にはFくんが寝ている。
家族がいるということ。
別に、たった今会話してほのぼのとしているわけじゃない。
ただ、「一つ屋根の下にいる」ということ。
同じ感覚は、高校生の頃までの日常と、
元パと結婚してからしばしば、
それから、Fくんと同居している今も、
感じるのだった。
離れていれば思えること。
元パのNさん、ありがとう。
あなたと暮らした思い出が、
ようやく「幸せだった」と思い出せるようになってきたよ……
(あ、せっかくいい感じになったと思ったら、
やなこと思い出しちゃった。
彼女から「返答」をもらわなくちゃならないのだった。
あいたた、それは辛いことだ……
「お互いに、相手がどこか知らない遠い世界で
幸せを求めてがんばって生きているだろう、と
想像するだけでいい」という状態が
崩されてしまうから。
現実にいる相手と、不快なアクセスしなければならないから。)