- 2002年06月13日(木) 「らしさ」の発達 ニュース(見ちゃった……(._.;)
★1・「らしさ」の発達
★2・「女装を理由に解雇」!?
★3・「宅間守被告の供述調書」
★4・「ゲイボーイ」昨日のNHK教育の番組を、あの後まで見ていたら、
男の子はいつのまにかそれなりに男っぽく、
女の子はそれなりに女っぽくなっていく、ということも
確かにあるらしい。
そういうところまで一緒くたにして「性差はなくすべき」と主張してしまうのは、
ちょっと極端かな…… と、思い始めた。
ていうか、もともと私は「男女の性差をなくせ」と言っているわけじゃないし。
子ども、特に幼児期には、
思春期のように「体から突き上げてくる性差(=第二次性徴)」などないのだから、
たとえば「ちょっと」男の子らしくしてみたり、
逆に「ちょっと」女の子っぽくしてみたり、
というようなことがあっても、
たとえば「5歳の男の子がスカートをはいた」からといって
その子がGIDを発症したり女装趣味に走ったりするとは限らないのでは。
それを周りで見ている大人=両親とか保育士、幼稚園の先生とか……が
殊更に騒いだり問題視したりすることがむしろ
子どもに対して目には見えにくいけれど
「歪んだ認知」の萌芽を植え付けていくことになりはしないか。
はっきり言って、イスラエルの「キブツ」にしてもニュージーランドの教育方針にしても
(どちらも幼児期に「性差」を強調せず、むしろ抑えぎみにして育てていく)
思春期以降の人たちを見れば
勝手に男っぽくなったり女っぽくなったりしているのだ。
つまり、「性差」というものは、いちいち「教育」なんかで画策しなくても
自然に身についていくもの。
だから……と、ここから自己主張になっていくわけだけれど、
たぶん両極端のことが言えるのだろうな。
1)「だから」人間における性差は絶対的なものなので、これからも堅持していこう。
2)「だから」やたらと性差(男らしさ、女らしさ)を強調することを、社会的にも緩和していこう。
と、二つの路線がありうるけれど、私としては後者の立場をとりたい。
具体的に、
・戸籍の性別表記を廃止→住民票とかでも「性別」欄は廃止
・婚姻後の別姓も許可、「戸籍筆頭者」も廃止=婚姻したどちらの者からでも検索できるようにすればいい
……というくらいのことは、日本の社会でもやっちゃっていいのでは。
(もっと言うと、「戸籍」って何?
……日本が唯一オリジナルで持っている「帝国主義的制度」かな?
ていうかそんなもん、いつまでしがみつくんだろう?>ジジイの集まり=国会)
砂のお城みたいに作り上げた「性差の秩序」にしがみつきたがるのは、
やっぱり「男」、それも、そういう秩序にハゲ頭のてっぺんまでどっぷり漬かった
ジジイが圧倒的だろうなあ……
(もっと嫌味なこと言うと、「性差の秩序」にあぐらをかくことで、
自分の自信のなさを解消しようとしてきて、
それが自分が威張る根拠みたいになってしまってるので
今さら屋根に登ってからはしごを外されるようなことをされたくないだけなのだろう)
そういうジジイたちにおとなしくかしづいてきた奥さまがたが
(たとえば国会議員の妻、とか)
↑そのことについて発言を求められたら、
みんななんて答えるんだろう?
「夫に従うのが美徳ですから」とか答えるんだろうか?
でも、その時点で既に、ジジイたちは奥様がたから「哀れみの目」で見られてると思う。
はっきり言ってそういうもんだと思う。
結婚した配偶者どうしがお互いに尊敬しあうのは、もちろん当たり前。
尊敬できない相手と婚姻関係を継続しなければならないとしたら、
きっと必ず「相手に対する尊敬、信頼」以外に
何かごたごたした「価値観」……=建前とか「秩序」(←ホントは特に従う必要のない虚構)とか、
場合によってはよじれた屁理屈みたいな「思想」が
必要になってしまうんだろうな。
そういえば「右翼の女」って、見たことないなあ……
まあ、「右翼」のスタイルって、公園でヒーローごっこやってる洟垂れ小僧のセンスだし……
(でも、小学校にあがる前の子どもたちにとっては男の子も女の子も
ふつうに参加するよね、「ヒーローごっこ」って)
「街宣車」なんかは暴走族の名残、とか。
(これだけは今もまだ、聞こえてくると吐き気がしてしまう。まじで。
思春期に暴走族やるのは、やかましいのでメーワクだけどやりたい気持ちはわからなくもない。
それにおかしな屁理屈つけて、もう思春期なんかとっくに終わってるようなオッサンが
「右翼」とかやってるのは、さすがに「早くオムツが取れるといいね」と思ってしまう)
それと反対に「左翼の女」はそれなりに多いよね。
昔(20年くらい前まで)はダッサダサの「(鼻息荒げて)私、女=性差=男女差別の根拠、を捨てました!」
みたいな人が多かったけれど
最近は「自分らしさ」をちゃんと身にまとっているタイプの人が多いので
安心して肯定できる。
キレイだし。
女性が「キレイ」であることを要求されるのを「それこそ男女差別だ!!」と騒ぐのもイタい。
男に媚を売るような姿じゃなくても、
「自分らしくできる人」は、どんなに「遺伝的に恵まれてなかった」としても
それなりに「キレイ」に見えるものです。
少なくとも、私にはそのように見えます。
「(男/女)らしさ」がアイデンティティ(自分らしさ)とフィットしてるのが
いちばんかっこいい♪
私も、自分らしさと女らしさが自然にフィットするような生き方を
これからもっともっと、身につけていきたい。
↑「らしさを身にまとう」というのは「不自然」なんじゃないのか?
とかいう批判が当然あると思うけど。
人間は、どんなに「自然なこと」でも
それなりに意識して「身にまとう」ことでしか
「自分になる」ことができない。
「えっ、そんなの関係ないよ。私は私のまんまだもん」とか
「自然体で生きてるから、そんなこと気にしないよ」とか言う人たちも、
実はそのことを口に出してしまっている時点で
そのことにそれなりに意識的に関わろうとしているのでは。
(私にはそのように見える)
人間て、存在そのものが本質的に「不自然な生き物」だから。
そんなことまでも捨て去って「どーぶつみたいに生きる」ことを求めようとしたって
それすらもわざわざ「意識的に」しなければ、できないのだ。
哀れっていえば哀れ。
でも、だからこそ「人間」なんだよね。
私はそうした「不自然さ」とも、自分らしく(意識的だけど自然に)かかわりたい。
強く願っています。36歳の男性 「女装」理由に解雇
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20020613k0000e040060000c.html
うう、頭の痛くなるようなことが(-_-;
私は怒るべきなんだろうけど(解雇の理由が「女装」なんてナンセンス!とか)
別の視点で「そりゃしかたないんじゃない?」とも思えてしまって。
「就職」ということの中に「会社側の選考基準を満たす」みたいなことがあって
その中に「人間として決定的な属性(?っていうのか、わからないけど)」もあるのかもしれない。
いくつかの項目を立てて比較してみると……
・国籍:「日本人だと思って採用したのに
実は日本国籍ではなかった」
でも、ちゃんと仕事ができれば関係ないはず。
それなのに解雇してしまったら、これははっきりと「差別問題」として社会から糾されるでしょう。
・年齢:「35歳以下としての募集に対して応募→『33歳』として採用→
実は38歳だった」
「詐称」があればダメですよね。
・血液型:「A型というので採用したら実はB型だった」
血液型を採用条件にすることじたい、あまりないけど……
うーん、やっぱり「詐称」に問題があるのか。
・性別:「男だと思って採用したのに、
『実は女だ』と言い出した」
GID者の場合、これがいちばん大きいんですよね。
やっぱり「詐称」なのでしょうか? でも、本人だって「入社時にははっきりと自覚していなかったから」
と対抗することができるんですけど……
ただ、会社側が「解雇」も含めてそういう人を白眼視する理由の一つに、
「社内の雰囲気を乱すから」
ということがあるのでは?
だって当事者の「女装」が周囲にとって「不快感を与えるもの」だったら、
職場にとって「迷惑」ということになってしまうだろうし……
全体的には、私は「性転換に至る途中の当事者の社会適応を援護すべきだ」と思っています。
ただ、自分自身の体験からも言えるのだけれど、
ある会社に「男として」就職して、その後「自分のトランスに目覚めてしまった」場合、
「それでも仕事上の迷惑は一切かけない(配置転換も含めて)」という「確証」のようなものがないと、
その職場にいつづけることは困難になってしまう、ということは
しかたないのでは、と思います……
ううーーーん……
自分がどの程度クリアっていうか「パス」っていうかしているかわからないけれど、
「トランジット途中」(性転換を目指してはいるけれど外見とか思考様式とかがなんだか中途半端)の人を
社会的な偏見の目にさらすことなく保護していく、というような
社会基盤がどこかで形成されていけば、と思います……
(また友だち減らしちゃうようなことを書くけれど……
自分のことは棚上げしてるのもわかってるけど、やっぱり「中途半端」に見える人って
何かしら「つきあいがたい感じ」がする……ていうか「違和感」が……
まあきっと、私も人によってはそのように見られているんでしょーけどねっ(-_-;
ええ、ええ、私ゃどーせ「NH系」ですよーだっ!>いじけるなよ>里花)
って書いて気付いたしょーもないネタ。
「NH系」って「ニューハーフ系」っていう意味で書いてるんだけど
そのまま読めば「エヌエイチケイ(NHK)」=「日本放送教会」じゃーん♪(^^;
おっと、話題が逸れた。
私の持論はジロンド派……なんて言ってもわかる人少ないだろなー……
就職する時点で「トランス」についてはカムアウトしましょう。
そうして、後のトラブルを避けるため、たとえば人事担当の人なんかを
自分の味方にしてしまいましょう。
味方につけるコツは「笑顔」よっ♪
気持ち悪い雰囲気を撒き散らしながら人を味方につけようとしたって
すぐに裏切られてしまうから。
あと、要注意。
今回、「解雇」とかひどいニュースが出てしまったけれど、
そんなのはごく一部の(たぶんトランスしてなくても十分に「解雇」されかねないような資質を持った)
人の話で、
カムアウトした上でずっと勤め上げている人だっているし(現実に知り合いにそういう人がいます!)
カムアウトなんかしないで、ふつうに女性としてOLやってる子だっているからね。
ぼそっ……
でもなんで、解雇される前にいきなり訴えちゃったりするんだろう?
人との関係を円満に成立させていくことができなくて
とんがっちゃったりしたのでは?
かわいそうだけど、どうしても「自業自得」に……
もちろん、私だって人のことは言えないけど(-_-;わー、なぜか今日はニュースに気が向いてしまう……
ろくなニュースがないのに。
(不幸なニュース、悲惨なニュースはできるだけ見ないことにしてる……特にテレビでは)
付属池田小事件:宅間守被告の供述調書読み上げ 第9回公判
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20020614k0000m040062000c.html
事件が起きたばかりの頃は、なんだかこの被告にやたらと「転移」して、
「私も男のままで生きていたらあんなことしてしまったかもしれない」などと
今考えると「ビョーキ」としか言いようのないことをここ(原案帳)などにも書き連ねては
七転八倒していたけれど、
今はこう思う。
「本人が真実をそのまま語っているのなら、
お望みどおり極刑に処されればいい!」
反省しろよ。
少なくとも、十何人かの子供たちの人生を無に帰させたんだから。
取調べを受けていても、まだ正気に返ることができないのか。
それとも、取調べ=自分にとっては惨めな境遇に置かれているから、
ことさらに自分を「悪の化身」にして、
自滅を図ろうとしているのか。
自滅するなら一人で滅びろ。
人を、それも小さい子どもを巻き込むなんて、
絶対に許せない。私は以前「営業おかま」が嫌いだった。
自分が男だということがはっきりわかっていて、
女が好きで、
自分の底の浅い知識をひけらかして「情報通」みたいな顔をして、
それがちょっとでも否定されると暴れだす。
そーゆー人がいたのよ。
しかも酔っ払うと仕事忘れるし。
その人けっきょくクビになって、よそでお店を預かったりもしたけれど、
けっきょく続かなかったみたい。
「アタシより頭の良い人としか付き合いたくない」とか言っていたけど、
それって「誰でも」っていう意味になるんじゃない?
その言葉、そっくりあなたに返して、私は絶対あなたとなんかお話したくないわ。
何を言っても「アンタねえ、アタシの言うことに逆らうつもり!?」とすごんでくるし。
本当に、頭の悪い人だった。
(ふだんそういうことをほとんど言わない私が言いたくなるほど)
いくら失業率が過去最悪(なんだかつい最近もち直したらしい?)でも、
ふつーに「男」で、ふつーに「女が好き」だったら、
トークとかダンスとか歌とか、人並み以上の才能のある人でなければ
呼び名が「ニューハーフ」だろうと「お○ま」だろうと「ゲイボーイ」であろうと
お店で働かないでほしい。
需要も特殊だから純女の子のお店と比べればパイのサイズも小さいだろうけど、
そういうところで働くしかない、と追い詰められる子だっていっぱいいるんだから。
席を取らないでよ。
お店=酔っ払いがくだまくところ、なんかにしないでほしい。
でも、今、「営業」というよりも「ゲイボーイ=ホモの流れで」というタイプの人と
一緒にお仕事してるんだけど、
私はこの人の知見の広さに感心してしまった。
一緒にショウタイムの音楽を編集した。
「彼女」(と、お店のしきたりでそう呼ぶけれど、「彼」と呼んでもいいみたい)は
私の技能をリスペクトしてくれた。
その人が振付け担当だったので、
今度のショウタイムのステップを教わった。
とてもじょうずに教えてくれた。
私はその人のセンスをリスペクトしている。
(うちのお店で働くのは期限付きらしいんだけど……残念!)
日本人だろうと外人だろうと、
ゲイバーで働くのに相応しい、自分なりの技能を持っている人、
或いは女性化のために大変な努力をしている人、
そういう人たちと一緒にお仕事したい。
あと一つ。
「お○ま」=「暴力的」みたいに言われる伝統的な風潮があるけれど、
できればそれは変えていったほうがいいと思う。
「どうせ日陰の裏街道」でしかないのだったら暴力絡みなのも仕方ないだろうけれど、
日本人の常識が変化しつつあるのだ。
私は「ゲイバー=芸バー」だと思っている。
存在そのものが芸術作品なのだ。
更に、自分という作品を生かしてそれを表現すること、歌でもダンスでも、
そういうことを通じてお客さんから「リスペクト」されるような存在になっていってほしい。
「何を戯言ぬかしてやがる。
おまえら『お○ま』はなあ、中途半端な存在でしかねえんだから、
客の笑いだけとってりゃいいんだよ!」
ちゃんと笑ってもらえる何かを認めてくれるなら、それでもいい。
でも「酒のつまみの(暴力的な)慰み者」としてもてあそばれるのは、いや。
どんなに多くの先輩がたが「それがゲイバーの真の姿」と諭されようと、
私は自分のこの気持ち、死ぬまで変えたくはない。
だって、だって……
リスペクトがなければ、あんなに高いお金とれないよ!
セット5000円、飲み放題90分で6000円は、そもそも「お水」を知らない私にとって
どういう理由でそんなに高いのか、私の考えた理由以外にはありえないような気がする。
それなりに「リスペクト(敬意)」があるからこそ、
そんなに高いお金を払ってくれるんでしょう?
私自身、まだまだチープなところばっかりだろうけれど、
リスペクトしてくれるお客さんからチップをもらえるようにしたいもん!!