- 2002年06月04日(火) 死因・子音・試飲……?? 理由(わけ)
★1・死因・子音・試飲……??
★2・コケた理由
★3・不安の理由キェルケゴール(百数十年前の哲学者)は
「人間は誰しも『死に至る病』を抱えてゐる。『絶望』といふ病を」
と言った。
たいした理由じゃないと思うのだけれど、週末からがんばりすぎてしまった挙句、
私自身が何か「死んじゃいそう」という気持ちになってしまったのだった。
【××章香(筆名・会津里花)さん、死亡 ― 死因は『関係性不全』と見られる】
「関係性不全」などという病名は、この世にはない。
でも、なんだか知らないけれど、
社会的に死んでしまうほど人間関係をぶち壊してしまったような気が、しないでもない。
そう、「関係性不全」による死とは、社会的な死だ。
昨日の夕方から、(途中早朝に目覚めたけれど)今(13:22 02/06/04)まで、
ずっとずっと眠っている。
身体的にも調子悪いみたい。
肝臓を取り外して、よく洗ってからもう一度取り付けたいような気分。
(そんなことできないっちゅーに)
「肝臓は物言わぬ臓器」と言われているので、何か言い出したように感じるこの状態は
もしかしたら「手遅れ」っていうやつかもしれない。
でも、だからといって……
コンビニは遅れる、塾は行かずじまい、……って
そこまでぶっちぎってしまったら
そういう人間関係が、なにもかも台無しになってしまうじゃないの。
それでなくても、私は気難しいところがあって(自覚はないけどそうらしい)
友だち少ないのに。
私にとっては貴重な友だちばかりなのに。
(もしかしたら友だち、本当は多いほうなのかも)
……ど、どうしよう……
泉鏡花の小説を、時々目が覚めると眺めるとはなしに読んでいる。
ホント、「文芸」っていう言葉がぴったりくるような感じの大衆性。
30年くらい前の少女漫画みたい。
対象年齢=十代(〜二十代)、って感じ。
しかも、『化銀杏』ではまるでACみたいな人格描写してるし。
その一方で「西洋近代文学の真似」という感じがしないでもないような
お話のつくり方もちらほら見えて、
そのちょっぴりチープな真似方がまたいい。
こっちも気楽に読める。
文体が「擬古文調」なのでちょこっと読みにくくて、
それでゆっくりと読んでいるけれど、
私にとってはかなりお気に入り。
泉鏡花
徳富蘆花
会津里花
……
と並べ称される日が来るのは、いつのことか。
(永遠にそんなこと起きないから余計な心配するな>自分!)
肝臓がいたい。ち、違う。胃が痛い。これ、胃でしょ?
でも、背中もちょっと。
うう、しんどい……
まるで宿酔(ふつかよい)みたいな感覚で書いてる。
うう。
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そうそう、さっき目が覚めるちょっと前、なんだか心地よい夢を見た。
私はOLやっていた。
大きな会社。
私はアパート住まいをしていた。
お昼休み。
同僚の子たちと一緒に食事……っていうそのあたりから、
私の夢によく出てくる、東京あたりのどこかの町並み……
それともあれは、タイ・バンコク?
無国籍な華やかさ。
……
状況設定しか思い出せないけれど、
若い私は(間違いなく二十代!)せいせいした気持ちで
女性としての人生を送っているのだった。
それも、奇異な存在としてではなく、
ごく普通の女性として。
(なんか信じられないような……それとも、まだ眠ってて夢の続きなのか……
私は二十代の全てを「男」として過ごしたのだった。
あ〜あ。41歳の今から見返して、正直イヤになってしまう)
メンタルのお医者さんから言われた。
っていうか、問い詰めて言わせちゃった。(ごめんねN先生)
「あなたの人格障害はさまざまなタイプの合併型だ」と。
「境界型」「自己愛型」「演技性」「反社会性」……あとなんだったかな。
いろんなのをずらずらと並べて、でもそのうちのどれが私のケースなのか、ということは
明示しなかったけれど。
別に捨て鉢になってるわけじゃないけれど、
病名を聞くことができて、ある面「ほっとしている」自分を感じる。
東京のアパート。
現実の私は、あんなに広びろとしたお部屋に住んだことはない。
(あっ、わかった、あれはつい先日泊めてもらった友人のアパートの様子だ!)
姉を巡る旅。
私はなぜこんなにひどい人格障害に陥ってしまったんだろう。
過去をめぐる旅。
くるり、くるり。
…………またやってる。
何度同じことを繰り返すか。
いいかげんにしてほしい。
……↑って、ああ、これ、他の人に言われた言い方と
全く同じじゃん。
ここ数日の記事を読み返したら、
なんで私が今週になってからコケちゃったのか、
ちゃあんと書いてあった。
忘れるなよ、自分で書いておきながら。
5/31の記事で、元パとのやりとりを書いた。
で、不安的中、っていうか、彼女からは音沙汰がない。
私は「人との約束をすっぽかしたら、どれほど相手に不快な思いをさせるか」
ということを実感してしまった。
自分のほうが被害者になる、ということによって。
でも……
それでも私は、まだ人に待ちぼうけをくらわせてしまっている。
今日はバイトの日だと言うのに。
昨日も、だ。
何も言わないで放ってしまうのは、とても悪い癖だ。
ああ、見捨てられる……
過剰反応なんだろうけれど、
この「見捨てられ不安」は私を縮こまらせてしまう。
身動きできない、とか、電話する、という行動に出られない、とか……
(私のために用意してくれたお花を、私が持っていかなかった、とか
はっきり言って「そんな些細なこと」に、私は拘ってしまっている。
こういう不安、本当にどうにかしてほしい……
↑どうにかって、誰がどうすればいいわけ?
自分でなんとかする以外、どうにもならないじゃん……)自ら禁じたはずの「元パネタ」。
でも、連絡くれないんだもーん……って、
自分にとってちょっといやなことされたら
ネタにして晒し者にするのか、私は?
ひっどーーーい。
ただ。
それにしても。
私が元パとつきあうようになったきっかけは
彼女が「(自分が泣いているのは)あなた(=里花)のせいよ」
と言った、ということだった。
よく考えてみれば「おまえが悪い」と言われた相手のことを好きになってしまうなんて
かなり病的なのでは。
でも、このことは、結婚が破綻するきっかけとなった言葉で
けりをつけたのかもしれない。
それは、彼女が
「(二人めの赤ちゃんが流産してしまったのは)あなたが殺したのよ!!」
と言った、ということだった。
本当か嘘か、などが問題なのではない。
確かに私は、それでなくても経済的にぎりぎり以下の生活を送っていた中で
もう一人の赤ちゃん、なんて負担には耐えられないと思っていた。
だから、二人目の赤ちゃんができた、と聞いたとき、
優しくしてやることはできなかった。
でも、あからさまな拒否をした覚えはない。
私はとにかく、生れてくる子どもが少しでも余裕のある生活の中にいてほしいと
それだけを願って、例の「わかほりさん」を強めたのだった。
なのに、彼女にとっては、それだけでもう充分だったようだ。
私を「悪者」にして、彼女が私をがんじがらめに支配する口実ができたのだから。
↑でも、やっぱり私が殺したんだ。
だって、彼女がそう言ったんだもん。
なのに私は、犯罪者として社会的に処罰されることはなかった。
それ、おかしいよ。
だから私は、自分を処罰した。
男の私には、悪いけれど死んでもらいましょう。
……
で、本当に死んじゃった。
ざまあみろ。
男のおまえなんて、サイテーなんだよ。
人殺し。妻を泣かせる、サイテーな男。
おまえが死ね。>××(私の男性名)
死んで、女として生き直すことにして、
私は幸せです。
だって、少なくとも、私は生きてるもん。
生き延びたんだもん。
たとえ精神的にめちゃくちゃになっていても、
仕事もできずにごろごろするしか
なくなってしまっていても。
(そういう社会的に役立たずだったら、おまえも死ね、なんて
そんな脅しは私には通用しないからね)
私は生きる。
これから先も、生き延びてやる。
どんなに迷惑かけようと。
(もちろん、迷惑かけないようになりたいです。
そんなの、当たり前です。
人に不快感を与え続けることは、
当の私にとっても
とても、とても辛いことなのです)