- 2002年05月11日(土) ミッフィー 混乱
★1・ミッフィー
★2・混乱
★3・辛い……
★4・若者とニュース
★5・(混乱の理由が少しわかった)
★6・You've Got a Friend今、起き抜け。
ディック・ブルーナが授業をやってるところを、たまたま見た。
ブルーナの、一見とても単純なお話は、
実は「必ずハッピーエンド」という
とても難しい要素を持っているのだった。
もちろん、現実の読者の中心になっている幼児にも
わかりやすい結末でなくてはならない。
「未来への教室」http://www.nhk.or.jp/future/
で、やっていた。
第二次世界大戦を乗り越えてきたブルーナの決意があった。
「ブルーナ・カラー」といわれる、独自のニュアンスを持った、
けれど単純な6色だけにまとめあげられた色使い。
たぶん、ミッフィーが描かれていなくても、
なんとなく「ブルーナの絵だ」とわかってしまうのだろう、
その色合いを見ただけで。
「色」に拘るなあ、と思ったら、
実はブルーナは「アンリ・マチス」に影響を受けていたのだった。
おお、「野獣派(フォービズム)」の巨匠。
なーるほど、確かに、わかるような気がする。
(でもその背後に「キュビズム」とかあって、そこを通路として
ピカソが歩んできた青の時代、ピンクの時代とか、
更に「印象派」なんかともつながりがある。
わお、奥深っ!!)
ちなみに「キュビズム」と「フォービズム」はなんとなく似ている、
と思っていたけど、「〜ビズム」が同じだからそう思っていたのだった。
(本当は発音もぜんぜん違う:
キュビズム=cubism、フォービズム(「フォーヴィズム」と表記すべき?)=fauvism、だったかな?)
……でも、「色面分割」と「大胆な色使い」、
やっぱり方向性がどことなく似ている、と感じてしまうんだけど。
……と、見ていて思いました。とさ。ちょっとびっくりした。
私は「病気のせいにしている」のだそうだ。
そんなつもりはないんだけれど……。
「人から信頼されるようになってほしい」と言われた。
確かに私は時間に遅れたり、「今日は行けません」と言って予定を反故にしてしまうことがある。
それは人の信頼を失うことだろう。
けれど、そのことを自分に強いてしまったら。
……ああ、↑の論理構造が「病気のせいにしている」っていうことになるのね。
私は病気がどうのこうのじゃなくて、生き方として
「労働という嗜癖」に囚われないことにしただけだ。
もちろん、何かしらの「病気」が契機になっているのは確かだし、
私はそれに「ボーダー」とかいう名前をつけようとしたりもした。
でも、私にとって、「人のせい」にすることは、
なんでもかんでも「自分のせい」にして潰れていくよりも
生きていく上ではずっと「まし」なことだ。
そのことで利害が一致しない人もいるかもしれないけれど、
私はそういう人たちとは離れて生きたい、としか思わない。
(相手が死んでほしいなんて、そんなこと考える権利は私にはないと思うし、
そもそも思わない;なのにそう書くのは、そう言われた体験があって、
それを恐れているからだ)
けれど、今大切なのはそんなことじゃない。
私は、私を蝕んだ人たちを、はっきりと「拒む」ことができて、
ようやく私にとって全く見えなくなっていた「世界」を
澄んだ目で見ることができるようになったのだ。
もしも私の書いていることがおどろおどろしい、歪んだものに見える人がいるとすれば、
それはその人の問題だ。
私に問題があるわけじゃないと思う。今、私に対して抑圧的な人間関係を強いて、
私に強い抑鬱感を与えた人たちのことを書こうと思ったけれど、
起きたことを正確に書こうと思っても、かなり大量の文章になってしまうし、
今の私にはやっぱり辛すぎる。
ただ、このことだけは言っておきたい。
↑の記事で触れた手紙をよこした人は、
たぶん私に対する加害者に「同情」しているのだろうと思う。
おそらく、加害者(たち……子どもにはいろんな意味で罪はないので、
成人している人だけを単数で指そう)は、
私のことをどれほど信頼し、そうしてそれをどれほど手ひどく裏切られたか、
というようなことを言ったに違いない。
だが、それよりもずっと前の段階で、私が加害者から強要されていた人間関係は
異常なものだった。
なぜ、実の家族を放っておいても、加害者とだけは毎週会わなくてはならない?
それが仕事だから?
「仕事だけの関係じゃない」ってあなたは言ったよね?
「基本に立ち返りましょう」と私が言ったら、
「そんな冷たいことを言わないで」と、私の主張を抑えつけたよね?
私があなたたちと会う時間を「毎週欠かさずに作る」ということ、どういうことだと思っていました?
まるで「単身赴任の父親が週に1度は帰省する」みたいだった。
実の家族にはそれをしてやれなかったというのに!!
私は、本当に不快だった。
けれども、離れられなかった。
人の命と引き換えにされるみたいなことを言われた。
「病気のせい」なんかじゃない。
明らかに加害者のいる、私は「被害者」なのだ。
しかも、なぜそんなことになったかといえば、
加害者が私に対して「恋愛感情」を持ったから、なのだ。
きっと今ごろ、「そんなことはない」とかなんとか、
前に私に対してあれこれと誘ったり、それらしいことを言ったりして
私を恐怖に陥らせた、その事実なんかすっかり忘れてしまっているに違いない。
私が「密室で二人きりになる(またはそれと似た状況の)コミュニケーション」を恐れるのは、
私が自分の受けた人格に対する侵入を含む異常な人間関係を、
誰にも打ち明けることができなかった、そのせいだ。
はっきり言って、許せない。
他人に私のことを悪し様に言い、他人までそういう人間関係に巻き込むのは、
なおさら許せない。
「人に信頼されるようになってほしい」と言われた。
でも、加害者との関係のようなことを「信頼」と呼ぶのだったら、
私はそんな「信頼」、断固として拒否する。
辛いし、悔しい。
スマップの香取慎吾くんが中心になって
(でも他にはなぜか女性ばっかり!?)
ニュース番組をやっている。
なんか、いいなあ。
菊川怜、なんだか賢い。
なんか、本も出てるんだ。
……もしかしたら、もうとっくの昔にニュースになって、
今はある程度定着してるかもしれない。
でもまあ、いいことじゃん。私がこんなに取り乱してしまった理由が少しわかった。
私は「指図されるのが嫌」なのだ。
なんか、ガキっぽいけど。
それに、「自分に対して否定的なことを言われるのが嫌」でもあった。
ちょっと「血液型」を絡ませてしまって心苦しいけど……
「A型」の人は、なぜか私に対して否定的なことを指図がましく言ってくることが多い。
たとえば「病気のせいにするな」というのは否定的な命令文で、まさにそのままだと思う。
「信頼されるようになってください」←つまり今の私は「信頼できない人間」と、
ちょっと考えればすぐに全人格を否定するような意味になってしまうことを
平気で相手に直接言ってしまう。
私には、そういうことを言うA型は、A型がよくB型に対して(やや悪意を持って)言う
「無神経」
という言葉をそっくりそのまま返してしまいたいような種類の態度、と見える。
実際、多くのA型は、なぜそんなことが平気でできるの、と言いたくなるほど
無神経に人の心にずかずか踏み込んでくることが多い。
『めぞん一刻』の「四谷さん」が、よく「B型的」といわれていたけれど、
あの態度はむしろA型に多い。
逆に、なぜB型どうしだとそういう言い方が少ないのか。
それは、たぶん、そういう目にさんざん遭わされて傷つけられた経験があるので
多少なりとも好意を持っている、または特に悪意を持っていない相手に対して
そういう言い方をしないように心がけているからだと思う。……ううーん。
そうやって、まるで「A型はみんなそう」ととれるような書き方をするのはよくないかも。
たまたま私にメールをよこした人が「A型」だ、というだけだし、
その人にとって私がどのくらい混乱してしまうか、たぶん思いもよらなかっただろう、と
文面から読み取れてしまうので、
「ああそうか、A型的な書き方だから、そういう一般論で薄めれば、私の不快感も少しは消えるだろう」と
自分の平静を保つために「逃げ」を打っているのかもしれない。
ユーラシア大陸の西のほうに多く、日本でもたまたま最も多い血液型、A型。
一方、南アジアからウイグル、モンゴルと中国大陸を囲むように分布しているB型。
海岸線や島嶼地域など、「大移動」を必要とする地域には特に多く、
でもまんべんなく世界中に分布しているO型。
A型とB型の分布、特にB型の分布に偏りがあるせいでそれに連れて分布の偏る
AB型。
地域性と血液型。
でも、血液型は決して「性格」そのものを左右するわけではない。
むしろ「体質」のある部分に影響を与えるようだ。
そこから間接的に、性格にも何らかの影響を与えるだろう。
それはちょうど、「太っている人はやさしい」「やせている人はやさしくない」というようなことが
言えないのと同じことで、
「〜型はどういう性格」とまでは言えない、ということだ。
ただ、太った人は電車で席をとるのに人よりも大きな場所をとってしまうかもしれない。
やせた人はもしかしたら貧血になりやすいかもしれない。
血液型と「性格(or 人格? 気質?)」との関連は、そういうことだと思う。
もしも血液型の因子が大脳の働き方とかに直接影響を与えていることが明らかになれば、
「血液型は人のものの見方・考え方・感じ方を左右する」と言ってもいいかもしれない。
(O型の人が概して人に対する気遣いが多く、下手すると過剰になってしまう……ということがあるのは
もしかしたらそういう面があるのかも、と思わされる)私を5年にわたってがんじがらめに支配した人が、O型だった。
なので、ときどき、O型の人の関係性の濃さがちょっと怖い、と感じてしまうことがある。
でも、一見似たような感じに見えても、私に対する加害者と同じように何か心に隙間があって
それを埋め合わせるのに私を支配する、ということとは限らない。
私はそんなに臆病になる必要はない、と考える。
元パも、O型だった。
彼女は、私に尽くしているつもりだった。
けれど、私が頼りないせいで、だんだん支配的になっていった。
だから、O型の支配を引き出してしまう私の「依存性」のほうに問題があるのかもしれない。
萩尾望都の作品に『青い鳥』というのがあった。
まあ、改めて思い返すと、典型的な「やおい」だったような気がするけれど、
自分が恋してしまった相手から「逃げる」、というモチベーションはなんとなくわかる。
それでも運命のいたずらで、何度も出会いなおしてしまう……
私は「病気のせい」にはしていない。
たまたま年齢的なことと、昨年手術を受けてから1ヶ月寝込んでいる間に
すっかり体力が衰えてしまったと感じること、
そのようなことがあるだけだ。
30歳と40歳じゃ、身体について起きることも違うのだから、
それを頭ごなしに「それじゃいけない」と言われても、正直余計なお世話だ。
もしかしたら、私の文体が若々しい(というか「幼稚」?)ので、
私が実年齢よりも10歳若く見られてしまっているのかもしれない。
半分は喜ばしいけれど、あと半分はちょっと迷惑。
まあ、30歳よりも40歳のほうがえらい、とかそういうことが言いたいのではないので
私がちょっとそういうニュアンスで年齢を意識してしまうことが
むしろイタい、と感じるけれど。願わくば、私を混乱させるようなメールを送ってきた人が
A型固有の言い方で私を傷つけてしまったのだ、ということに気付いて、
今度のことはやっちゃったのだから仕方ないけれど、
他の人にはそういうことをしないようになってもらえれば、と思う。
まあ、こう思うことも余計なお世話だろうけれど。
ちなみに、メールに返信したけれど、
それに対する返答はまだない。
私はそれで少しいらだってしまうけれど、
逆に私がそういう返信をもらったら、
なかなか返答できないだろうから、
できるだけ冷静になって、待つことにしようと思う。ゆうせんのチャンネルを替えたら、たまたま「You've Got a Friend」をやっている。
ほっ。
やっぱり、音楽が私をいちばん幸せにしてくれる。
音楽は人を傷つけることがない。
私は、人を嫌いになることはあっても、音楽を嫌いになったことがない。
……
これと同じような言葉で、私は傷つけられたことがあったけど:
「人は裏切るけれど、ペットは決して私を裏切らない」
私にはそれは、この世界を認識する心が歪んでいるからそう思う、としか
見えなかった。
私が上のように書くのも、同じように「歪んだ認知」と思われてしまうのだろうか。
……きっと、そうなんだろうな。
でも、それは仕方ないことだ。
私は人間が好きだ。
でも、怖いとも思っている。
そのくらいがちょうどいい「距離」なんだろうか。