原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2002年04月08日(月) (サボり気味) 私の好きな花 看護婦さん

★1・書けない
★2・『私の好きな花』
★3・悩み……
★4・看護婦さん



★1・書けない

書きたいことが、いっぱいいっぱいある。
たとえば、いちばん口当たりの良さそうなこと:

4月6日
新幹線で西の方に出かけた。
たまたま乗り合わせた女性が、どうやら私のことを
「純女(じゅんめ;生まれつきの女性、遺伝子XX)」だと思っていたらしい……
(私は貿易会社にいたことまで話したのに。
自分は事務職で就職したつもりだったのに営業周りさせられた、とか
ボスの命令で東南アジアに出張に出されたこととか話したら
「それってキャリアじゃない、かっこいい」と言われた……
確かに私は自分でもそう感じてしまっているので……
決定的な事実を一つだけ言ってないんだけど:
「男子社員として採用された」っていうこと)

とか

4月7日
心療内科に行ってお薬もらったりカウンセリング受けたりしたんだけど、
ちょうど地元の春のお祭だったので道が混んでいて、
弟に送ってもらったけど途中で降ろしてもらって少し歩いた。
ちょっと細かい霧雨が降っていたので傘をさしていったんだけど、
交差点の右の道から、赤ちゃんを連れた若いお母さんが傘を持たずにやってきた。
赤ちゃんがぬれてしまうのをそのお母さんも気にしているようだったけど、
ショールとかかけてもずり落ちてしまうみたいで、
とても歩きにくそうだった。
私が歩いて行くのと同じ方向に行くみたいだったので、
傘に入れてあげたら、
赤ちゃんがにこっとしてくれて、私はそれが嬉しくて
「何ヶ月ですか?」
そのお母さん「4ヶ月です」
私「じゃあ、もう首もすわって……人見知りしないんですね」
お母さん「いいえ、人見知りはするんだけど、
女の人だったらだいじょうぶなんですよ
赤ちゃんに対してパスできた!!
お母さんと赤ちゃんはお礼を言って、途中のデパートに入っていった。
これほど嬉しいことがあるだろうか!

21日〜25日のこと、あれこれ書きたいし、
「原案帳メール」も実を言うと5、6通たまってたりする。

でも、薬の副作用か、集中力がやや落ちてるし、
「おりょ? 今私、何考えてたんだっけ?」ってなっちゃったりするのだ。

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★2・『私の好きな花』

離婚するほんの僅か前、
私は元パ、子ども(Uくん)と3人で新しいアパートに
3ヶ月くらい住んでいたことがあった。
結婚生活としてはいちばん幸せな時期だったと思う。
(セックスしなくていいし、失業していたので仕事もしなくて良かったし(^^;)
オンラインで文章を添削するHPがあって、
そこのお手伝いをすると少しばかりお金になりそうだったので、
応募しようと思って、作文を書いてみた。
そのタイトルが『私の好きな花』だった。
せっかくだから、以下、転載しちゃう。

-----------------------

 「花というテーマで」という課題をいただいたので、私は自分の好きな花を選んで思い出を綴ることにしようと思う。
 いちばん好きな花は、「コスモス」だ。
 小さな頃から、ちょっと繊細そうな、やさしげな姿が好きだった。
 小学校の頃、孤独を感じながら学校から帰る途中、ピンクと白が入り混じって群生するコスモスを見ると、なぜかほっとしたものだった。
 中学の時、漢字で「秋桜」という字を充てるのを知った。その時は、単純に「なぜ、秋なのに『桜』なんだ?」と思ってしまったが、今もう一度「秋桜」という字を見ると、上手な充て字だなあ、と思う。
 高校の頃、cosmosという語が「宇宙」という意味も持つ、ということを知った。
 新鮮な驚きだった。
 それからは、コスモスの群生叢(ぐんせいそう)を見ると、
 「あ。ここにも『小宇宙(コスモス)』。」
 という感じがするようになり、淡い色の叢(くさむら)に漆黒の宇宙を垣間見る楽しみが増えた。
 時は流れ、私にも新たな家族を得ることができた。
 私には小学校1年生の息子がいる。仕事が忙しくてなかなか遊んでやる時間がなかったが、最近、とても久しぶりに一緒に散歩する機会を持つことができた。
 私の「お気に入り」の川の土手を、息子と手をつないで歩くのは、とても嬉しかった。
 もう「冬枯れ」と形容すべき風景の中、私はふと、土手際(どてぎわ)に咲き残る1輪のコスモスを見つけた。
 この子にはまだ早いかな、と思いながらも、
 「コスモスには『宇宙』という意味があるんだよ。」
 と教えてやった。息子はそれを、彼なりに受け止めたようだった。
 一方、私自身は、なぜか
 「まだ遅くはない。」
 と、直観していたのだった。
 もう早くはない息子と、まだ遅くはない私のコントラストが、妙に面白かった。
 「おとうさん、やめてよ〜。」
 私はつい調子に乗って、息子の腕を掴んでぶんぶん振り回すようにしながら駆け出していたのだった。

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子どもをぶんぶん振り回して、なんて危なっかしいけれど、
もちろん怪我しないように、それにUくん自身も楽しめる程度にしたのだった。
事実、Uくんもとても嬉しそうだった。

私は「女で父親」だ。
なぜか、この作文がそのことを如実に物語っているような気がしてしかたない。

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★3・悩み……

実は、ちょっと悩んでいます。
やりたいこと、やらなきゃならないことがいっぱいあるのに、
どれもこれも中途半端で、いっこうに先へ進まないのです。
たぶん……一つのことが終わらない(ていうか始まったばかり)のに、
次のことを始めてしまうからだと思うんですけど……
なぜか、どうしても「次のこと」がやりたくなってしまうのです。
確かNHKの番組で「性格(のある部分)を決定する遺伝子」というのがあるそうで、
ええっとどんなお話だったかな……

……(検索中)……

あ、あったあった。以下、リンク:
NHK:遺伝子の世界へようこそ
http://www.nhk.or.jp/dna/

の中の
第五集 秘められたパワーを発揮せよ  〜精神の設計図〜
http://www.nhk.or.jp/dna/tv/05/index.html


新奇探索傾向を左右する遺伝子
http://www.nhk.or.jp/dna/tv/05/TvTop_40.htm
l
というのがあって、私のいつもの癖?かもしれないけど
「あ。私、これかも」
と思ってしまったのだった。

で、そういう言い訳を使って本当は何が言いたいのかというと、
「私が飽きっぽいのは、私の遺伝子のせいなのよ〜〜♪
直せるものではないのよ〜〜〜ん♪」
……逝ってよし。>自分

でも、だからといって
「優先順位の高いものを重視して、低いものは切る」なんて、
私にはできないよぉ。
たまにやってしまうと、めちゃくちゃ冷たいと思われたりするし。

あ、そうだ、思い出した。
これまではそうやって「優先順位」とか考えなくちゃ、と思ってきたけど、
実はそういうのは馬鹿馬鹿しい「こびへつらい」でしかないということがわかったので
「優先順位なんか気にしない」ことにしたんだっけ。

なんか私、けっこう多くの人から「バカな奴」と思われてるみたいだけど、
バカのほうが楽しいから、それでよし!

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★4・看護婦さん

とある掲示板に、他の人が「看護婦さん」について書いているのを見たら
私も書きたくなってしまって。以下引用

-----------------------

元パ、看護婦でした。
(今でもそう? それとも別の資格をとった?
会話できないのでそれは不明←恨み節。ごめん)

> かわいそう〜なんて患者さんに同情してると
> 我が身がもたんそうです。

元パの周りで「かわいそう」に引き込まれて
自滅して辞めてく人の話を、1ダースくらい聞かされました。
それだけ大変、っていうことなので、
夜勤の送り迎えとかはできるだけやっていましたけど……
私が貿易会社で
「本人はOLのつもりなのに、会社にとってはできの悪い営業社員」
という状態になってから……つまり結婚する前後からは、
こちらもとてもじゃないけど
0時前に送っていったり
1時すぎ(だと思っていたら3時頃まで待たされたこともあった)に
病院の前に車を止めてずっと待っていたり……
はできなくなりました、さすがに。

> 自分の受け持ちの患者さんが交代の時間に病状が悪化してても
> それにひきずられることなく、自分の時間をすごせないと
> 看護婦は勤まらないって。
> 実は、ナイチンゲールもすごい厳しい人だったそうです。

厳しすぎて全てを支配しないと気がすまなくなっちゃう、とか……
根が優しいタイプだと、もしかしたら「過剰適応」してしまうのかも。

> いちいち誰かが死んだとめそめそしてたら勤まりませんわな。

ときどき(主に準夜勤=夕方から深夜までの時間帯に勤務=が終わって)
車に乗り込んできて
「どこでもいいから走って」
と言われて、ふと気がついたら隣の県まで走ってたこと、あったっけ……
18年くらい前のことだけど

> 私の友人(男)が以前は看護婦=白衣の天使幻想を持ってたのですが
……
> ま、幻想にひたれる人は幸せではないかと。
(追記:なんか「看護婦さん=白衣の天使に優しくしてもらうボクちゃん」って
幻想持つ男の子とかヲヤヂとか、多いらしいですね。
私には理解できないし、ちょっと「ゲロ」な気分になります。
「私の奥さん、看護婦なんですよ」とか言うと、スケベそうな顔して
「いいねえー」とか言ってくる同僚とか、
貿易の時も予備校の時もいたけど、
言われたときには意味がわからず、後になってからようやく理解できて、
おぞましい気分になることがありました)


確かに、そんな幻想なんか持ってるヒマありませんでしたね。
私自身は(主に父親の方針で……って、
別に「なんとかの箱舟」じゃないですよ!)
病院とか行ったことなかったので、
看護婦さんに憧れることもあんまりなかったので
(白衣がカッコイイと思ったし、着てみたいと思ったり
そういう仕事ができたら、と思ったりしたことはあったけど)
(↑って、しっかり憧れとるやんけー!!>自分)
元パと交流する中で、現実の看護婦さんのことを
いろいろ聞かされたのは、貴重な体験だったと思います。

-----------------------

で。
(ここからは掲示板に書いてないこと)
元パの勤めていた病院は「循環器」が「得意」だったのですね。
心臓とか、肺とか。
どうしても「生きるか死ぬか」みたいな人がよく来るので、
「集中治療室」がとても充実していたらしく、
若くて元気でやる気たっぷりの看護婦さんを充てていたそうです。
ところがところが。
どうにか集中治療室を出て、後はちょっと時間をかけて様子を見る……
(でも「生きるか死ぬか」の状態なのは変わらない)
そのための「一般病棟」は、循環器系でも
あんまり人が充てられなくて、
回復しきれずにシテってしまう(「シテ」は病院用語で「死」のことらしいです……
って、あんまり書いちゃいけないのよね、こういうことは。
でも「隠語を使わなくてはならない」って、とても危険な世界のような気がする)
そういう人をたくさん見させられる状況の中で
必ずしも「元気いっぱい、やる気まんまん」ともいえないような
看護婦さんが不足気味に充てられて……

元パは私が貿易会社で出張ばっかりさせられてた頃に
私と張り合うように仕事してたけど、
意地で辞めずにがんばった挙句に
ヒラの看護婦なのに、看護婦名簿では「婦長さんのすぐ次」に載るほどの
「古株」になってしまいました。
それって循環器病棟に配属されてから、僅か1年ほどしかたってなかったのに。


あ。
このお話。
前にも書いた。
しかも、なんで私は今でも元パのこと、自慢したりするんだろう?

循環器にいた頃の元パの疲れた顔を思い出します。
はっきり言って「ゾンビみたい」だった。
そんなに大変なんだから、いたわってあげたかった。
けれど、こちらも大変だし、張り合ってるみたいな雰囲気もあったし、
なかなかいたわってあげることができなかった。
送り迎えも、↑だんだんできなくなっちゃったし。


ただ、そのことについては、ちょっと言いたいです。
ていうか、まだ混乱してる。
私は東京でがんばって生きたいと思っていたけれど、
「結婚したいのなら地元に戻ってきてほしい。私は地元を離れられない」
と言われて、
「まあいいや。結婚退社、寿退社だと思えば」と考えて帰郷し、
「結婚したいのなら私(元パ)のほうの名字を名乗って。お墓を守りたいから」
と言われて
「まあいいや。嫁入りだと思えば」と考えて言われたとおりにして、
ところが
「私(元パ)はあなたの稼ぎだけで生活できるようになりたいの。
子育てをしっかりやりたいから」
と言われて、その他にもなんだか
私が「一家の大黒柱」にならなくちゃいけないような状況っていうのが
いくつもあって、
私にはとてもじゃないけどそんなことできなかったので
どんどん失望されて、……

で。

最後に、見捨てられたんだ。私。

そりゃ捏造に近いかたちで離婚届を無理やり作って市役所に出しちゃったのは私だし、
それまでにはっきり言って「DV」としか言えないようなこともした。
(怒鳴る、とか、床に組み伏せて身動きできないようにして自分の言い分を聞かせる、とか)
↑どっからどう見てもDVだよね、これ……
いっそ訴えてもらって、前科持ちにでもなれば「男のまま」でもよかったかも……
なにそれ??!!
ていうか、自分のことを諦めることもできたかも。
希望を持とうと思ったら、女に戻るしかなかった。
なんか、めちゃくちゃ。言ってること。


あ、だめだ。
まともに考えられない。
私はなぜ「嫁入り」のようなことをしたのに
「大黒柱」とか「DV亭主」とか、できたわけ????
あ、「できた」んじゃない。少なくとも「大黒柱」なんて失格だし、DVは犯罪じゃん。
この犯罪者め。おまえの言い分なんて、誰も信じちゃくれないよーだ。

薬が切れてきたみたいです。
だから文章長い。

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