ボンジュー。 今日こそは用事を片付けよう、とか思ってたのに結局寝て過ごしました。 お陰で少しは喉の痛みが引いた気がする。気のせいとか言うな。
七夕ですが、特に嬉しいこともなく。 男がいようといまいと、私の七夕ライフは不変だと思うけどね。 私の人生において、七夕が意味を持ってたのは小学生の時だけだよ。 給食に七夕ケーキとかアイスが出るから嬉しかった。 中学以来、七夕で盛り上がったことなど一度もないさ! 見知らぬ男と女が会えようが会えまいが私の実生活には何ら関わるところのものではない。 織姫だか彦星だか知らんけどさぁ、まあ会えたんならいいんじゃないかね。 一晩だろうと一年だろうと好きにまぐわえばいいよ。 うん、めでたしめでたし。
七夕とは一切関係ないのですが、先週末の「堂本兄弟」(フジ系列)で 剛が歌った椎名林檎嬢の「ここでキスして。」が 案の定ファンの皆さんには大好評だったようですな。 やぁ、一部の特殊なファンだけに受けたのか、オンリーファンにも受けたのかは知らん。 でもあのテの歌を歌ったらさぞかしウケるんだろうなぁとは思っておった。 確かにシチュエーションはいいと思うんだけど、そんなに歌よかったかね? 私はどうも剛殿が他人の持ち歌を歌うのは苦手ですねぇ。 たまにヒットすることもあるんだけど基本的に苦手だ。 特に女性の持ち歌を歌うのは苦手だのう。 とりわけ林檎嬢の歌は彼女が歌うことによって独自の世界が完結してる気がする。 剛が歌おうと、他のどんな優れた女性歌手が歌おうと、何か違う気がする。 私も「勝訴ストリップ」くらいまでは林檎嬢が大好きだったなぁ。 ちょうど中高生の頃だったし、彼女の一風変わった世界観がカッコヨク見えた時期だ。 若い女の子ってのはどうもあんな懐古主義めかしたものに弱いね。 懐古主義「めかした」ものだから、とっつきやすいしな。 「御座います」とか必要もないのに漢字で書いてみたりするんだよ。 私もよくやった。 旧版の小林秀雄とか読んだ後に、漢字で「併し(しかし)」とか書いてみたりして 小論文で赤ペン修正されたりしてた。そんで「間違ってないじゃん!」と憤慨してた。 今になって思うけど、文章は読者に読みやすいものじゃなきゃならんよね。 だから必要もないのに何でもかんでも漢字にするのは、ただの格好付けに過ぎんのだね。 思春期にはよくあることだね。自分は他人と違うと思いたいお年頃なのだね。 まあ残念ながら今も大して成長したわけではないんですが。
で、休業後に「茎(STEM)」で復帰したんだっけ? そこら辺からだんだん方向性が違ってきた気もして興味がなくなった。 「百色眼鏡」だっけ、あれにラーメンズ小林氏が出てるから見てみたい気はするんだが なんかそろそろ林檎離れしてもいい年頃か、とか思って手を出しにくい。 別に役者としての小林さんが好きなわけでもないしなぁ。
ところで「ここでキスして。」を剛が歌うのを見てなんとなく思ったんだけど、 「溺愛ロジック」ってやっぱり林檎色が強いよね。意識してんのか知らんけど。 でもそれが良くも悪くも彼の素直なところではありますよね。 いいんですよ、私はあの子の影響されやすいところも含めて素直なところが好きなんですよ。 ただなぁ、太宰治に強く影響されてた時期だけは切なかったな。 わたしゃ太宰が嫌いなんですよ。太宰よりは三島派なんですよ。 なんだあのジメジメした男は! グジグジしてあっちの女やこっちの女にしなだれ掛かってる男なんかより 筋肉美を追求してナルシストでホモっ気もありそうな男の方が断然いいよ! 正直「人間失格」一冊だけしか読んでない私が太宰を評してはいかんと思うけど (あとは教科書に載ってたので仕方なく「走れメロス」を読んだだけ) 一冊だけでも嫌いなものは嫌いなんだよ。あれはどうしようもない。 やー、でもね、三島もすごいと思うけどね、やっぱ私は漱石だね。 そんなにたくさん作品を読んでるわけではないんですが、何故か好きですよ。 この前友人と昔話してて、 「生徒手帳に漱石の写真挟んでる人なんか人生で初めて見たよ!」 と言われたときに、そういえば生徒手帳に挟んでたな……と思い出して恥ずかしかった。 いつからやってたか忘れたけど、少なくとも高校の三年間はずっと挟んでた。 我ながらはっちゃけ過ぎだよね、青春時代……。 いやでも本気で好きだったんだって、漱石が。 家族を説き伏して道後温泉に連れてってもらったくらいなんだから。 最近ちょっと漱石愛がリバイバル気味です。 いい加減きちんと「草枕」を読んでみたい。
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