samahani
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2005年10月05日(水) |
息子、実社会をかいま見る 1 |
高校の最終学年の息子は、この半年間せっせとボランティアをしていた。中学と高校の7年間で、最低30時間のボランティアをしなければ卒業できないからである。卒業する前に途中で日本に帰ると思っていた息子は、今頃になって、ちょっと焦って探し始めた。
一番初めにしたボランティアは、日曜の朝の3時間、公園でのゴミ拾い。当日雨が降り、頭からつま先までぐしょぐしょになり、ゴミ袋を持って瓶や缶を拾い集めて谷間の斜面を登ったり降りたりしたそうな。「ビンでいっぱいになったゴミ袋って、すごく重いんだよ。めちゃくちゃ疲れた」と言う息子を前に、こんなことで風邪でもひいて学校を休んだりしたら本末転倒だと私は思った。
「ママぐらいの歳のおばさんも来てたんだよ。アメリカが長い日本人みたいで、仕分けしながら can , bin ,って言うのはいいけど、ビンって思いっきり日本語だし・・・。ちょっとわらった・・」「でも、あのおばさんは、(もちろんボランティア時間稼ぎでもないのに)ほんっとうに偉いと思ったよ」
普段無口な息子が、饒舌になっているということは、いろいろ思うところもあったのだろう。スクールバスでの学校往復といくつかのクラブ活動、たまに親に頼んで車で連れていってもらう買い物、これだけが彼の生活圏のすべてという、日本の高校生とは比べものにならないほど狭い世界で生きている彼にとって、公園清掃に集まった人たちは「外の世界」だったのだ。
「大変だったね。こんなのだと分かってたら休んでもよかったのに。でも初めてだから、(様子が分からなくても)仕方ないね。次はもっと面白いの探しなよ」とは言ったものの、義務のボランティアも決して形ばかりでなく、それなりに意味のあることだなあと、毛布に包まって凍えている息子を見ながら、私はちょっと嬉しかった。
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