samahani
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2002年12月07日(土) 発言する

息子たちは、日本に居れば、小6と中3なので、この春には揃って学校を卒業することになる。本当ならいま頃、中学受験と高校受験とで、家の中がピリピリしているところなのだろうけれど、アメリカは高校まで義務教育であり、塾に行ったりすることもないので、ここに住んでいるおかげで、子どもの教育に関して、親の私はとても楽をさせてもらっている・・らしい。(教育費もかからないし)

そんな訳で、唯一の特別教育の場である日本語補習校で、卒業式のあとの謝恩会(保護者主催で小・中学校合同)に、親として協力することになったとしても、バチは当たらないだろうと思われる。(←使い方間違ってます?)

あまりボランティア精神に富んでいるとはいえない性格の私だが、係を担当してその係の責任者になってください言われたとき、そのくらい協力しなくてはと思った。

今日は、各係の担当者も交えての初めての会議がもたれた。予算について、ひとりいくら集めるのかというところから再度話し合われたのだが、私は、今までの経緯を知らないので、はじめは黙って聞いていた。が、途中で意見を求められたので、思ったままを(その予算では足りないのではないかと)言ったのをきっかけに、それぞれの予算を決めていく段階で、そのつど意見を述べるようになった。

他の人ももちろん意見を言うのだが、それを聞いている私は、内心(ああ、なんて穏やかに理路整然とお話できる方なのかしら、それに比べて私ときたら、早口でまくしたて、声も大きくて、場慣れしていなくて興奮しているようにも見え、もしかして品のない人なんて思われてるのではないかしら)と自分の至らなさを実感してしまった。

ところが、会議が終わって席を立つと、数人の人が私を取り囲み、「今日は、ありがとう、あなたが来てくれたおかげで、スムーズに話も進んだし、有意義な話し合いが持ててとってもよかった」と、口々に声を掛けてきたのだ。 「いやぁー それほどでもぉ〜 byクレヨンしんちゃん」とちょっとテレたが、そのときは、新参者が参加してくれたことへの ねぎらいの挨拶(社交辞令)なのだろうと思った。

(2度目の→)ところが、自宅に戻って夕食の準備をしているところに、別の人から電話があり「今日はありがとう、とっても助かった、来てくれてほんとによかった」とまた言われたのである。 聞けば、みんなは、委員長さんに遠慮して、(予算が)それでは足りないでしょうと言い出せなかったそうなのだ。みんな内心は私と同意見でありながら、私のようにはっきりと否定の意見を言うことをためらっていたのだ。

そうか、そんな裏話があったのね。なんとも、日本的な・・・と驚いた。「意見を言わなければ、その場に居ないことと同じ」と言われるアメリカのミーティングの場では、どんな発言でも受け入れられるし、意見を戦わせることが、意義のあることとして認められ、会が終われば あと腐れなく解散することもできる。

私は、性格的には、アメリカっぽいところも多いのだよねとよく思う。そして、久しぶりに褒められたり感謝されたりして、ちょっぴり気分がよかった私である。







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