samahani
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今日は久しぶりにメトロに乗ってダウンタウンまで出かけた。コートも要らないくらい暖かくて、青い空に白い雲が映えていた。駅までの道のりを急ぎ足で歩いていたら、車で通りかかった、近所のおじさん(推定60歳)に声をかけられた。
「こんな天気のいい日には、あなたはきっと散歩がてら駅まで歩きたいって思っているだろうね」 まあ、いつものことながら、相手が何を言っているのか、大部分を「推測」で理解しているわたしであるから、きょとんとして、これってなんだろう、挨拶かな?と思いつつ、 「ええ、まあ・・」 と答えると、今度は 「あなたさえよければ、わたしは駅まであなたが乗っていくのもやぶさかではない」(あくまでも雰囲気)とおじさんは言った。
ここでやっと、なぁんだ「駅まで乗せていってあげるよ」と言っていたんだと気が付いて、ありがたく送っていただいた。
出先でこの話をすると、「そのおじさんは、あなたが断りやすいように気をつかってそういう言い方をしたんだね」と言われた。なるほど、そうだったのか。わたしは、アメリカ人って、もっとストレートなモノ言いをするものだと思っていたから意外だった。
京都辺りだと、来客にお茶漬けを出すと、それは帰れの合図で、いくら「ゆっくりしていってください」と言われていても、察して帰らねばならないと聞いたことがある。よく言う「こんど遊びに来てね」の言葉も社交辞令かどうか見極めないと、「あら、本当に来たのね」などと言われてしまう。(←経験あり)
京都に近い大阪に住んでいた頃、息子1が生まれたので、近所の班の人たちが500円ずつ集めて6000円をお祝いとして持ってきてくれたことがある。その時の班長さんが「少しだから、お返しなんて考えなくてもいいよ」と言うので、その言葉を、額面どおりに素直に受け取ったわたしは、後になって、何のお返しもないと影で噂されていると聞いて、本当にビックリして、とても悲しくなった。わざわざ、思ってもいないことを言って、若い奥さんを混乱に陥れるようなことをしたのはなぜなんだろう。わざわざそう言わなければ、わたしもちゃんと考えたのに。
そのくらいの言葉の裏も読めないわたしは、素直な性格って言うよりも、バカとか無知とかなの?
いまでもわたしは言葉の裏を読むなんて作業は苦手だ。わたし自身もストレートなモノ言いをしていると思う。
(だからなに?って言われてもちょっと困るけど)
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