ハダカ日記〜日々カミングアウト〜
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2005年04月06日(水) さよなら。

地元にある藤井寺球場が6月に77年の歴史に幕を閉じます。

多分、藤井寺市民の青年の部大多数は物心ついたら親に勝手に近鉄バッファローズ友の会に入会させられ、帽子をかぶらされジャスコでスガキヤな日曜日を送ったり、試合のある日は原付きに乗せられ、8回の裏から無料開放になる外野席で遊んでいた筈だ。

いつだったか、近鉄の優勝争いも観に行った。あんなにお客さんが入ってる球場を初めて見た。加藤が「巨人はロッテみたいなもん」か何か言った翌日からボロ負け試合が続いて結局、念願の優勝は無かった。図に乗る所が、何ともディープサウスらしい。

短大生の頃、球場でバイトもした。新聞屋とかで貰うタダ券を本券に引き換える仕事内容。仕切りのイベンターでなく、思いっきり近鉄側に雇われていたので、選手と同じ出入り口から出入りするので、試合前の選手や、試合後の選手によく遭遇した。シャワー後のタオル一枚の中根を見たときには、ドキドキした。今、思うと、清原、野茂、イチロー、、、サイン貰っときゃヨカッタ。

働きだしてからも、役所内に猛牛会なるものがあり、毎月指定席の抽選があり、見事当てては飲みに球場へ行っていた。
そう、試合など殆ど見ない。球場の開放感の中でビールをUPし、酔っ払い、野次を楽しむ。
藤井寺は鳴りものが禁止なので、野次がある。ディープサウスのおっさんの野次は最高だ。
近鉄を応援してるくせにダサプレーをした選手に、「オマエ、何さらしとんじゃー。近鉄電車乗って田舎帰れ〜!!」目の敵にしてる西武が勝つと選手バスが出発するのを出待ちし、「オイ!清原!オマエんとこの電気屋でぜーったい電気なんか買えへんからなー」(清原の実家は岸和田で電気屋)など、愛のこもった野次が飛び交う。この野次は中川家のネタでも堪能できる。

地元を離れてる間に、近鉄が無くなる事が決定した。素直に悲しかった。その年、アタシは地元で又、生活を始める事を決めた。ラストゲームの日、二軍の試合だったが観に行った。もちろん酒をしこたま買い込んで。客席は平日の昼間だというのに、酒を片手にしたオッサン多数。皆、切ない気持ちでいっぱいなんやろう。
試合後、選手が客席に向かって整列した。
隣のおっさんが泣きながら叫びよった。
「お前らの野球人生はこれからやからなー!頑張れよー!」

涙が出た。一軍の選手は移籍先が決まったりしてるけど、二軍の選手はどうなんねん?球場の事務所におった、おっちゃんらは?トンボかけてたオッサンらは?熱いのにずっとぬいぐるみ着て、客席を湧かしてくれてたおっさんは?試合の度に来ていた、かなり怪しい男の楽しみは?
皆、それぞれの気持ちを抱えてたんやろう。試合が終わって、挨拶も済んでるのに、応援歌がこだました。

それから、半年は経つやろか?
藤井寺球場も無くなるらしい。家が建つという噂だ。
その藤井寺球場を解放して、6/4.6/5に藤井寺市民フェスタというしょっぼい市民祭りと健康祭り?みたいなんが、合体してイベントが開催されるという。そこで、サブステージ出演者募集というのを目にした。「え?ということはスタジアムライブ??」
すぐさま一代目に連絡をとり、「アンタも渡辺美里になれるで」と出演了解をとり、エントリーした。まだ、結果は出てないけど、出演できたらオモロイ。バンド名はSOUTH BOUND。南へ下れ。ピッタリや。
ちなみに屋台参加者も募集している。アルコールが可なら出張barやろうぜ!とよく行く店のマスターに声をかけた。こうなりゃ、勝手にFUJI ROCK ディープサウス版。位な勢いで盛り上がりたいものです。


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