2009年12月29日(火) |
■許すということは、損をすることなのかも知れないと思う |
許すということは、損をすることなのかも知れないと思う。 だから、難しいのだ。(略)
貰えるはずのものが貰えなかっただけでも、 「損した」と思うのに、こちらがそれを与えるなんて、 これでは、“ダブルの損”だと、私は思ったのである。 ところが、やがて気づかされたのは、 ダブルに損をすると、「得になる」ということだった。
“シングルの損”だけにしておくと、 残るのは、腹立たしさや口惜しさだけであり、 折りあらば仕返しをと考える自分だけである。
ところが思い切ってダブルに損をすると、 そこには、ほめてやりたい自分が残り、 「よかった」という満足感が残るから不思議だ。 しかし、ダブルの損をするのは、決して易しいことではない。
出典元 「目に見えないけれど大切なもの」 おすすめ度 5 著者名 渡辺和子
こちらが、傷ついているのに、不快な思いをしたのに、 なぜ、許さねばならないのか…
「許す」ということは、なかなか難しいことだと感じる。 そしてまた、許すことは、確かに、こちらが 「損をする」ようにも、「負けた、屈した」ようにも感じる… だから、 「許すもんか、そうすれば、 相手がいつか、謝ってくるはず」 「許したら、気持ちの収まりがつかない」 などと思い、とても許せないのだ。
しかし、相手が 「悪かった、許してほしい」と心から思ってない限り、 謝りを待っていても…相手が謝ってくるはずもなく、 しかも、だいたいは、 謝ることをこちらが、待っていることさえ気づかず、 あるいは、許してないことさえ気づかず… 謝ってほしいという思いは、期待はずれに終わり、 そして、いつまでもこちらの心の葛藤は続き悶々とする。 相手はもうすっかり忘れているかもしれないのに…
私は、ダブルの損をすること、つまり、許すことが とても下手だし、苦手なので、「許す」というより、 いろいろな葛藤や思いを、「手放す」ことにしている。 「もう、いいにしよう、忘れよう」と。 いつまでもぐじゃぐじゃ考えそのほうが楽になれるから。
今年も終りなので、今年の「許せない思い」をまとめて、 すっきり「手放し」たいと思っています。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「フランスパン作りに挑戦…来年に持ち越し」
フランスパンは作るのが、なかなかむずかしい… これに挑戦してみたが、まだまだだね、 だってまだこんなだもん。
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