| 2005年03月11日(金) |
犠牲者は「ノー」を言われるのを恐れている。その言葉を聞くのを避けるためなら驚くべきことをする。 |
犠牲者は「ノー」を言われるのを恐れている。 その言葉を聞くのを避けるためなら驚くべきことをする。 犠牲者にとって「ノー」はただの「ノー」ではない。 全人格を否定されたも同じなのだ。 彼らにとって「ノー」という言葉は、 「ノーノーノー!おまえにはまったく価値がない!」と 聞こえる。
だがスピリットの持ち主にとっては、 「ノー」は「イエス」のひとつの側面にすぎない。 「ノー」と「イエス」はいっしょなのだ。 すべての人間が「ノー」という権利も「イエス」という権利も 持っていて、スピリットの持ち主はそんなことを 気に病んだりしない。 その権利を尊重している。
「なりたかった自分になるのに遅すぎることはない」より スティーブ・チャンドラー著 桜田 直美訳
なるほど、そうなのか… 「ノー」は「イエス」のひとつの側面にすぎない、のか。 うんうん、なんとなくそう思えば、 気も楽になりそうだ。 うんうん。
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