| 2005年03月09日(水) |
肯定されなくてもいい。嫌われ者でも鼻つまみ者でもいい。 |
肯定されなくてもいい。 嫌われ者でも鼻つまみ者でもいい。 なにがなんでも自分という存在を際だたせたい。 なぜか。 自分のこころが一瞬であれ満たされるからである。 嫌われることによって開き直りの自己承認となる。
自分をノーボディ(何者でもない者)ではなく、 サムボディ(ひどかどの者)だと思うことができるからである。
けれども根本的な承認が欠如しているから、 この満足はすぐに不全感にとってかわられる。 なにかをひとりでなす能力も人を魅了する人間的度量もない。 そのため彼らは、つねに他人の耳目を引きつける行為を しつづけなければならないのである。
「自分様と馬の骨」より 勢古 浩爾著
ものすごい音をだしてバイクを運転していく人がいる。 周りはいい迷惑である。みな、顔をしかめる。 「そんなに大きな音をたてなくてもいいのに…」 そう思うが、彼らにとっては、 それが快感なのだろう。
誰にも(一部の仲間を除く)よく思われない満足って、 何だかむなしいような気がするのだが…、 きっと、それでもいいのだな。
それだけ、普段の生活の中で、 存在感が持てないのか…。 満足感がないのか…。
嫌われても、認めてほしいのか… 肯定されなくても、目立ちたいのか… なんだか…こちらが空虚になるなぁ。
まぁ、ともあれ、 夜中に大きな音を立てるのは勘弁してください。
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