2004年06月19日(土) |
相手に喜んでもらいたい、それが自分の喜びにつながることは確かですが、 |
相手に喜んでもらいたい、それが自分の喜びにつながることは確かですが、 時には、相手に気づかれなくても、それが徒労だとしても、 ちゃんと喜べる人間になりたいと思ってます。 つまり、見返りを何も期待しないということでしょうか(略)
与える喜びの中で、とても大切なことは、ちゃんと自分で自分に 喜び与えられるということでないでしょうか?
「わたしのためにできること」より 唯川 恵著
人に与えて、見返りを求めないのは ものすごく高等な精神がいるような気がする… だって、人に与えたら、自然に見返りは欲しいと思ってしまうものなぁ。
でも、そう思ってばかりいるのも、 どうにもみっともないし情けないことだとも思う… 見返りを求めるのことが、あまり自分の中で美しくないことだと 心の中で思っているからだ。 (にもかかわらず、求めてしまうのだが…) やっぱり、本当には見返りを求めず与えるようでありたい…なぁ。
しかし、自分が与えられたら、ちゃんと見返りはしようと思う。 それが礼儀なような気がするから。 せめて最低限、お礼だけはちゃんと言おうと思う。
兄が、出張先の山形からさくらんぼを送ってくれた。 兄弟といえども、やっぱり何かを返さなくてはと思うので、 お礼だけでなく、今度は何かを兄宅に持っていこうと思っている。 何にしようかな…と苦痛に思わず、楽しく考えられるのが一番いいのかな。
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