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2004年06月10日(木) 夢のような出会いをあきらめて、現実の中に理想や野心を見出せることが、

夢のような出会いをあきらめて、現実の中に理想や野心を見出せることが、
「シアワセ」をつかむ第一歩なのである。
現実に妥協できずに、「ちょっと不幸」でいつづけたり、
あるいは新教宗教や結婚詐欺にだまされるより、ちょっとレベルを下げて、
自分のことを好きになってくれる人がいることを素直に喜べたり
(もちろん、そんな男といちいちつきあう必要はないが)
欠点があってもある程度「できる」上司や同僚を理想化できる方が
「シアワセ」にははるかに近い。


 「ちょっと不幸な私」を変える上手な甘え方  和田 秀樹著



今は、レベルを下げることが「負け」になってしまう時代だそうだ。
何からの「負け」になるのか、よくわからないが、
ともかく「負け」なのだそうだ。
(もちろん違う人もいる)
レベルを下げることは、自尊心を芳しく傷つけるらしい…
自尊心が傷つくと、攻撃的になるか、
無気力になるか…どちらかに振れる人が多いと言う。

レベルを下げた学校
レベルを下げた生活
レベルを下げた仕事
レベルを下げた結婚
レベルを下げた恋人

こう書いてくると確かに何だか切ないし、
確かに「負け」たような気がしてくる。

しかし、そのレベルは…自分の中で決めたレベルに過ぎない。
または、仲間内のレベルであることが多いのではないか。
それに、端から客観的に見ると、
自分では、レベルを下げた恋人と思っていても、
周りから見たら、できた恋人に見えてるかもしれない。
自分ではレベルの下げた仕事だと思っているかも知れないが、
実は、その仕事が自分にぴったりとあっていることもある思う。

そうしてみると、自分の中の何かから「負け」たのだろうなと思える。
自分で「負け」と決めているのだと思う。
つまり世間に「負け」たのではなくて、
実は自分に「負け」ているのではないか…

私は、「負け」たっていいと思っている。
「負け」たって、たかが知れていると思っている。
長い人生「負け」ることも現実にあるし、「負け」ても
自分で「負け」たと思わない限り、「負け」ではないのだし。
それに、「負けるが勝ち」ってことばもある。
レベルを下げて、シアワセになるなら、その方がずぅっと「勝ち」だと思う。










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