2003年12月21日(日) |
大切なのは批評家ではないし、 |
大切なのは批評家ではないし、 強い人物がどうつまずいたかを指摘する人でもないし、 いいことをした人に、どこをもっとうまくすればよかったかを 指摘するする人でもない。
賞賛は、実際にリングに立っている人のものだ。 その顔は血と汗と埃にまみれ、雄々しく戦い、 何度も何度も間違い、 力不足に終わっても、 すばらしい熱意を知り、強い献身の心を持ち、 価値あることのために自分を費やす。 それが最善の結果になると信じ、高いものを成し遂げる。 たとえ、最悪の結果になって失敗したとしても、 少なくても思い切ってやったのだから、 勝利も敗北も知らない冷たく臆病なたましいと 同じ場所にいることは決してないだろう。
セオドア・ルーズベルト
批判するのは簡単だ… 実際にやってみるより、はるかに簡単だ。 そのことを無視して、或いは忘れて、 批判したり、文句を言ったりする。
やった人より、やらない人の方が言葉は多い。 そして、その言葉が力を持ったり、 正しいかのような錯覚を与えたりする… だから…「やったもの損」という言葉が生まれる。 (私の回りだけかも知れないが…)
「実際にやってみろ」と言いたいが、 やらない人はいつもやらない。 批評家は、いつまでも批評家でいたいようだ。 そんな人は、批評家としてしか認知されない。 批評家がそんなに価値あるか、立派かどうかは、 回りがみんな知っている。
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