2002年09月21日(土) |
ふたりの人間が、つねに異質な部分を用意することによってのみ、 |
ふたりの人間が、つねに異質な部分を用意することによってのみ、 相互刺激の可能性は持続する。 親しい人間関係、人間改造的な関係は、実は相互に相手を解放しあう 関係なのであって、相互拘束的なものではけっしてない。
「人間関係」 加藤 秀俊著
この言葉のいわんとすることは分かってはいるのだが… 実際に生活をしていると、相手の異質な部分ばかりが目につく。 自分で同じでない所というのは、目につくもので、 どうにも気になるもので(特に些細なことが) 異質なものを認めないといけないと思っていても、 育ちが違えば、習慣も違うとわかっていても、 ついつい、互いに非難の対象になってしまう。 それも刺激と言ってしまえば、確かにそうだが、 決して「解放」の人間関係ではなく、 どちらかというと、同質化改造計画の形相だ。
もっとちゃんと、異質な部分を認めないとなぁ… いつもそう思っているのだが…
|