2002年05月08日(水) |
無用の苦しみというものがあることに、われわれは気づくべきである。 |
無用の苦しみというものがあることに、われわれは気づくべきである。
苦しむことによって精神は鍛えられる。 しかし、苦しみが強すぎるとき、 精神は破壊されることもあるのではないだうか…
「人生学」ことはじめ 河合 隼雄著
時間があって、一人でいると、どうしても 「無用の苦しみ」を生み出す考えが浮かんでくる。 だいたいそれは、よくない考えとか、不安な考えとかで、 根拠のありそうでいて、ないような考えが多い。 そして、その考えによって、苦しむことになったりする。 まずいことに、このときに考えたことが事実のように 思えてくるから、始末におえない。 そして、さらに苦しむ…
たぶん、こういう時の考えは「無用の苦しみ」を 生み出す原動力だと思う。 せめて「無用の楽しみ」にしたいものだ。
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