追憶と忘却と回帰


2004年10月26日(火) 目線と点。

人の見方というのは、もちろん人それぞれのもので。
青を見て赤を認識して「青」と答える人もいれば、
「林檎」を見て「梨」と認識する人もいるのかもしれない。

自分の中にある自我のしっぽを上手く捕まえておけない人はたくさんいて、
そんな中で世界はくるりくるりと回っていく。

「世界は自分中心に回っている」と考える人もいれば、
「自分は世界のはずれ者」と考える人もいる。

このこはこういう子だ、と、印象や行動で認識していても、たいていはそうではない。

それを踏まえて人間観察をすると、なかなかこれが面白いのだ。

ついでに、斜め後ろから自分までもを観察すると、
なんて滑稽なのだろうと、笑えてきてしまう。

それは現実。

幸せの度合いと不幸の度合いや、運の良い悪いの度合いは、きっとみんな平等に持っているんだ。
それで、それをいつ、どう使うかで、「人生」というものが決まってくるんだ。

幸せは歩いて来ない。
だけど歩いていってもつかめないことのが多い。

それでも、つかめるものは、
きっと、チャンス。

それでも、つかめないものは、
きっと、自分。

苦しむほど、悔しいと思うほど、人は成長して何かを得ていくのだけれど、

『10年かかって先人が会得したものを1から自分で研究しようとしたら10年かかるもんさ。だったらその先人の10年にあやかって、そのやり方を盗んで掠め取って10年分を1年で会得しようとは思わないのかね?』

それを実行したって、それは決して「楽」ではなくて。

やはり、それは滑稽なのだと思うのだ。



人は、社会において、人を踏み台にして生きている。
邪魔な奴は排除される。
けれど、その「邪魔な奴」の為したことを、踏み台にして進む人たちがいる。

はッ。ばかばかしい。おろかなのはどちらだろう。
そう、どちらもおろかだ。

しかし、それが社会というもので、下手に知恵をつけすぎた「人間」というものだ。



僕らの中にうずくまっている何かと、人はみんな格闘している。
格闘の仕方が違うだけで。
みんな、同じように格闘している。

「会社に行きたくない。」
「仕事がしたくない。」
「家から出たくない。」
「電車が怖い。」
「学校でいじめられる。」
「家でお父さんが怖い。」
「自分が見えない。」

「自分がわからない。」


それらを心に秘めたまま、

笑顔で「おはよう」と言うのだ。


なんて知恵だ。


僕への認識が、
大学生だろうと家庭教師だろうと作家だろうとドラマーだろうとネット声優だろうと歌唄いだろうと時々いる露店の姉さんだろうと姉御だろうと仲嶋組裏の組長とか言われてることだろうと妹だろうと兄ちゃんだろうとヤンキーだろうと優等生だろうと問題児だろうと病人だろうと社会のはずれ者だろうと頭の可笑しい子だろうと良い子だろうと悪い子だろうと電話魔だろうとメール魔だろうと音楽馬鹿だろうといつも絵を描いている子だろうと眠り姫だろうと学校で友人と時々格闘している子だろうとヲタクだろうと金髪の子だろうとパンクの子だろうとロリータの子だろうと緑の髪の子だろうと青髪の子だろうと黒髪の子だろうと


同じなんです。

それだけの知恵しか持ち合わせない人間というのは、

なんて、おもしろいんだろう。

人間で、よかったのかもしれない。

それはきっと、今が幸せで、今が苦しくて、今が楽しくて、今が眠たいからかもしれないのだけれど。


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