嫌いな食べ物「キュウリ」
これから出掛けるので簡潔に書いておこうと思う。
これは誰に示すでも無い、私の為の私の記録であるから。
私は如何やら、現状を良しとするよりも、私が今、辿り着きたい目標の沿線上に、障害物として現状があった場合、障害物と思えるものを取り除く作業をする傾向にあるらしい。遠回りをしない。風化することを待たない。鑿を持つ。槌を持つ。クレーンが来る。それには操縦者と監督官が必要である。
この様にして私は其処に辿り着きたがる。
では言語が違ったら如何だろうか。鑿では進まず、槌では崩せず、監督官の言う其の言葉のどれもが操縦者には聞こえまい。或いは彼の、頭蓋骨に刃先を宛てて切り抜くやも知れぬ。
私はそういったリスクを以ってしても、今回の場合は其処に着きたかった。
実は、結構結果が見えていたりするものだ。視線の行き先で知れる。反応で知れる。そういったとき、私は何時も、自分の言語が酷く拙いことに気付かされる。言葉に出来ない様々が靄の様に胸を駆け巡り、螺旋し、消えずに居た。この靄を生み出すのは私の言葉が空気に触れると風化して仕舞う所為であり、別の次元から見たら、全く端ばかりが強調して見える所為なのだろう。
私の示したい其のことを、一体どれだけの人が内容把握出来るかと思わなくも無い。
リフレクソロジー及び、インド料理屋に行って参る。
さくま