最近、というかここ数年ほど、選手と(中途半端)指導者の両方として過ごして、過ごしたからこそ気づけたことがある。
まず、速くなるため、強くなるために必要なのは「やる気と情報」。指導者として選手に「やる気」を継続させること。そして、速く、強くなるための「的確な情報」を与えてやれること。これが重要だと感じるようになった。
もちろん、選手は「やる気」を自分自身で持続させる気がなければならない。「体は精神の元に成り立っている」、そんな風に考えられるようになった。 そして「情報」、速くなるために必要なこと、特に「自分自身が速くなるために必要なこと」、これを知っている、もしくは理解しているかどうかで毎日の練習の効果は何倍も変わってくるだろう。
しかし、この「情報」というモノ、扱いを大事にしなければならない。選手は常に速くなるための情報(答え)を求めている。しかし、なかなか見つからない。だから指導者を求め、指導者に「情報(答え)」を求めてくる。俺自身も一選手としては「スピードを上げる」という情報(答え)を求めて、指導者が欲しいし、容易に答えを聞きに行きたい。
しかし、この「情報(答え)」というもの、聞いてみてあっさり返事がくればすっきり満足・納得できるものの、案外身にならずに抜けていくことが多いように思える。例えば聞いたその場では「あーっ!!」と感激できても、それから数時間、あるいは数日経ってみると「あれ…??どーだったっけ??」というようなことがあるのではないだろうか…??ちゅうか俺はしょっちゅうだ、そんなこと。
逆に自分自身の殻にこもりきりだろうと、自分自身で考え抜き、それで出くわした感覚や「情報(答え)」というものは一度覚えたら、そうそう簡単には抜け落ちない。鮮明な記憶として残ることが多いと思う。ようは「自分でたどり着く」ことこそ、モノを覚える上で一番大切なことだと感じられるようになった。
与えなさ過ぎもダメだが、与えすぎてもダメ。聞かなさ過ぎだと遠回りになることもあるが、聞きすぎてもすぐ抜け落ちがちになり、危険。
指導者としても、選手としても「やる気と情報」、これをいかにうまく扱うか。最重要なことだと思えてきた。いま、現在こんなとこっす。
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