戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰
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2008年02月25日(月) ■ |
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歯痒さを越えて。 |
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たまにお食事を御一緒する主婦の方は、手タレントも真っ青のケアぶりです。 といっても昨今は気にするべくなのやも知れませんし、元々肌が弱ければ必要なものです。 洗い物の時も料理の時もゴム手袋、店に備え付けの石鹸は悪そうだから使わない、その他彼是自流を貫くのは、構わないんですけど。 本気で家事とかやってたら、そんな事考えてらんない。なんて気もする。 寧ろそうした余裕がある分だけ称賛すべきやも知れないんですが、少なくとも軽視しないだけは経験を持っているくせに、そういう人を軽視したくなる。のは、単純に恨み辛みにも似た。 だけどステイタスのよう、飾ろうとする魂胆が気に食わないんだ。なんでそんな人と食事を間々するのかと言えば、一人でいいとも見ながら食事するよりいいかなとか。いや実際はそんな事気にしないんですが。誘われたから行こうと言う軽いナンパです(違うと思う)。 嗚呼しかしその一回の食事の為に八時間近く拘束されるのは、たまらないなぁ。 なんて失礼な奴だ! そんな事に気を回せれば、優れていると? 生きる事に精一杯だったり、そうしなければ生きていけなかったり、そもそも生きるってなんだろうなとか、考えてるのは確かに余裕の無い証拠だったけれど。
倖せだと、満たされていると、そうでなくとも足りなさが少しずつ補えるか或いは慣れて来て鈍感になると、刺々しさが無くなって、つまらなくなる。 強い孤独を感じていた時の鋭さを失って、所謂微温湯だとか、そんなお前はつまらないだとか、言われる理由が染みてくる。 でも、いいんだ。虚無の中にも、自己は存在する筈だと、模索してみるから。
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