
戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰
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| 2005年11月17日(木) ■ |
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| 警告無視は重罪の承知。 |
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あまり大っぴらに公言するとマジに後ろから刺されかねないので隠しているつもりでいってみよう。 ある程度。この辺ちょっと弱気なのか(笑)。 今の国や、体制、システム、それらがあるのは、仕組の中で私が現存するのは、過去から今日に 至るその存在あってこそなのかもしれない。そういう意味で関わりを持ってないと言えないのかも 知れないけれど、それは例えるならば人は一人では生きられない理論の現実的な問題として、 朝夕飯の作物を誰かが作り搾取し組み立て組み合わせ献立に沿って入れる容器も誰かが元を考案し その原案を元に今の状態となったそれに詰め込んで、誰かが詰めた弁当だから、自分一人で 作れたものでは決して無く、手に入れる過程さえ面倒臭いので省きますが結局一人では何の通用も 果たせないのだと、そういう事と同じであり、それを日頃提唱するからにはその面だけを肯定し、 例えに用いた理由を否定するというのもこれ全くおかしな話なのだけれどそれでも出来れば、あくまで。
それが嫌いだと、言えるだろう。っていうか、嫌いだ(どきぱ)。何が嫌いなのかと言えば、この現代に おいてその存在の在る理由が理解出来ず、何時ぞやの時代は大切であったとてもご先祖様に逆らい 要らないものだとさえ思う。何をしてくれたのか知らないのは単なる勉強不足であって、 されどシンボルでしかないのは基本的に認めざるを得ず、そのくせやたらと恭しく、もっというならば 胡散臭いまでのその奉り具合と奉られ具合は正直言って気持ちが悪い。何がそんなに偉いのだ。 平等を謳い裏ではどうであっても表面的に自由を叫ぶ報道機関さえその話題に触れる時だけは 下手な敬語を連発しまくり慇懃無礼というか下卑た感情さえ懐いてしまう。嫌悪感。 何処の国の代表であれどその名前と肩書きとで、後は一般的に扱うくせに、何故たかがシンボル。 それにそこまで遜らなければならないというのか。正直言って理解不能なんだ。 誰にそれを訴えても、それなりの呼応は示して見せても、なあなあに流されるのが常であって、 憤りを何処かにぶつけたい訳では無いけれど、こんなちっぽけな人の周囲でさえ、それが最早 今では何の力も持たないと判っているのに、では何故今もそれは現存し、凡そ普通に人が生きていれば 一般的に起こり得る事象でそこまでぎゃあぎゃあと騒ぎ立て、その一部始終を事細かに説明されては 生い立ちから振り返り、他の色んなニュースを差し置いて大幅な時間をその為に使い、前の話になれば 誰が病気になろうとそれでどうしてそこまで騒がなければならないのか。騒がれる身が可哀相、 だとかいうのはどうせ承知済みでそこにいるのだろうから言うつもりだって無いのだけれど、 そんな問題ばかり突付き回されて果たして誰が楽しいのか。知りたい情報は、本当にそれなのか。 優先させる、べきは。それが存続するかしないかで新たに何かを変えなければならず改めたところで 発生する問題があるならばいっそ絶えてしまえばいいとか思うのは単に自分が気に食わないからで、 強い興味を懐けないからで、好意と紙一重のその感情だけれど、決して転ずる事も無いのだろうと 高を括っているから惜しげも無く言うつもりは有り。後で振り返っても過去の自分を悔やんだりはもう、 しないだろうと承知済み。絶対には届かない、到底の領域で。 真面目に見る気の無いニュースの癖に流れるのがそんな話題ばかりでいい加減辟易しているだけの、 たかが小市民の嘆きです。うざいとか、これには言えてしまう自分の不義理さを呪う事も無かろうと。
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