
戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰
|
 |
| 2005年04月15日(金) ■ |
 |
| レンズの奥のパネルに映るそれは。 |
 |
|
差別とは、二つ以上の物質事柄事象を、差をつけ別ける事。 最近では、悪い意味でよく使われている。寧ろそれでしか聞かないとも言える。 差別は悪く、偏見は悪く、平等には、ならないと。 しかしでは実際の生活において、一切の差別を無くしたら? 悪い事ならば排除すればいい。=差別を日常から行なわなければいい。 全てにおいて、差をつけ別ける事を無くせば、確かに何もかもは平たく等しく、なるだろう。 皆が同じ。全く同じ。何もかもが同じ。
女と男。 これも差別。帝国主義の嘗てを思えば、立派にそれは実証されている。 だが本当に、二つは同じ? 何も違わず、同じと呼べるのか。 女の身体は丸みを帯びて、おまけに胸が膨らんでいたり。 男の身体は角張り骨張り、がっしりとして胸もぺたんと平ら。 が、女性でも骨格ががっちりしていれば? 男性が細身ではいけないと?
大人と子供。 これも差があるからこそ別けられて。 無くしたのなら本当に、同じになれるとでもいうのか。 何処からがそうであるという、境目なんて境界線なんて、 何処にも無くまた誰も明確な、ものの提示なんて出来ないくせに。 生きた年数が見てきたものが、考え方が違うそれは確かで。
赤と青。白と黒。 全てが同じ色という一括り。 寒色も暖色もカラーもモノクロも、一切合切全てが何もかも。 三原色と自ら達が差を、つけておきながら今更無くして。 どれを足してどれが出来る、それだって差に他ならないのに。 本当に同じに、なれるとでも。
つまり差別をするという事は、其々を個々として認識する為のもの。 しなければ全ては等しく同じで、ごちゃ混ぜにしているのと何ら変わり無い。 しなければ己というものの、確立さえも怪しくなる。 それでは何故、悪く言われるのか。 差別には偏見が、つきものだから? 偏見とは、偏った見方。
女と男。 女の方が、男よりも力が弱い。というのが一般的な考えだ。 例外、また自らを、鍛えた者それらは勝らないと? 病弱でも、男だから女より強いと? しかし規格外を取り除き、あくまで一般化を計るなら、それは紛れも無い事実。 そして男の腹に子は宿れない。
大人と子供。 大人の考えのが優れ、子供の考えは劣っていると。 凝り固まり社会主義的に陥った、ものより純粋無垢な目線のがよいとも。 けれど大人でも精神的に、幼い者が多いのも事実。 子供が全て無邪気な理論を、持っているとは限らない。 但しそれまでの人生経験、それから選択肢を増やし、 幾つかの回答を導き出せるのは、明らかに生きている年数の多い。 仮に純粋な考えも、だからこそ単調で単純も多く。
赤と青。白と黒。 幾つかある中で、それらの。組み合わせを用いた事自体が、偏見に準じもするのだろう。 赤の対称が青であると、それも誰かの偏見に過ぎず。 浸透しようが偏っている、事は偏っているのだから。 白が明るく、黒が暗いと、誰かが言えばそれも事実。誰かにとっての確かに事実。 ただ生活をしていくに連れて、そう感じるのもまた誰かの事実。 誰かの意見は誰かにとっての、それは常に偏見だ。
要するに差別も偏見も、生きていく上では欠かせないアイテム。 しなければそれは認識能力の、無い者と判断されかねない。 いや、されても文句は言えないのだろう。 けれど実際問題あまりいいような、言葉では殆ど使われない。 使われないのは理由があって、何かと何かを差別化し、偏見により劣っていると判断されたものに、 悪い印象しか持たない持てない、悪い印象を与えかねない、 そういった発言や人の態度が何よりで。 悪口雑言振りまいていれば、いつしかそれに感化され、 一般化してしまうのも、一つの辿り着くべき結論。 逆に何故そうなるのかと、反論を持ち上げれば、衝突し合うのは、違う二つだから。
別に差別偏見を肯定する訳でも、かといって否定するつもりも無い。 使う人間が莫迦でなければいいのだと。 肝心なのは世間一般の、差別偏見に流されるのは、果たしてどうかという事と。 きちんと己が目で見定め、その上で差をつけ別け偏った見方を、すればいい。 優劣をつけたりどう思うかなんて、それも矢張り個々の偏見。
だから別に、高卒じゃなくたっていいと思うんだ。 高卒でも使えない奴っているし! 逆も然りだと思うんだ!! 偉そうに並べ立てておきながら、結局いいたいのはそれかよそれです。 これ軽く愚痴入ってるんで(回りくどいよ)。 雇って貰えないのではなく、辿り着くべき入り口さえ遠い。 私生活でも鎖が付いて。 いい加減辟易しているだけです。もう放っておいてくれよ!(どうやら何かを言われたようです) 現在進行形でそれに悩まされている。なんてきっとありがちね。 叫ぶ自分が一番気にして、いるのだとしても関わっている、今だからこそのだと思わせて。 接している今にこそ、それに対して見てみれば。 感情的になり常の理論と、離れていきながらも一時であれ自分の結論。 いいんです。足掻きともいえないこの醜さが、私の中での現実逃避。 ……いや、逃げちゃいかんだろ、逃げちゃ(笑)。
|
|