
戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰
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| 2005年02月06日(日) ■ |
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| 何て愚かなのかしら。 |
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何故、いけないのだろう。そうじゃないかもしれない事が。 決め付けは生き易い世界にする為で、何事も勝手に名付けては自分のものと勘違い。 不自由を少しずつ付け足して創られた、己の世界観をぶち壊されたくはないから? けれど、人が宇宙と呼ぶものが、本当に宇宙ではないのかもしれない。 名の意味でも、人の考えるものとも。 その可能性を示唆する事は、果たしていけない事なのか。 そうかもしれないしそうではないかもしれないと、曖昧に濁す事が、そこまで? だって結局、誰も何も理解ってはいない。理解ったつもりになってるだけじゃないか。 知れた気になっているだけ、それはただの勘違い。 それもまた考え方の一つであり、可能性に過ぎない。 押し付けたのではなく、そういう事もあるかもしれないと。 その、言葉さえ許されぬと云うならばきっと。 始めから、言葉なんて持って生まれてきちゃ、いけなかったんだね。 なんて。 仮定の話が好きな奴というのは、大抵の場合煩いとかで片付けられ。 寂しい、疎外感、というよりはむしろその事をまた議題として頭の中で考えたり。 受け入れられずにいる事はそれと捉えて、またどうしてそういう差が生じるのだろうとか。 いちいち考えていたらきりが無くて、終わりなんて何処までも無いのに、 在る果てを目指しては再び考察というなの己の世界に没頭する。 そしてまた今日も言われるのだろう、煩いとか、煩わしいとか。 たまには視点を変えて、そういう世界もあるんだねくらいの、 皮肉を利かせてくれてもいいのにな、とか。思うのも、我儘の一つなのかしら。
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