
戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
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| 2004年05月02日(日) ■ |
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| 星が光った夜は無かった。 |
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祝福すべきか、せざるべきか。
最近極たまに、思いを廻らす事があります。 極たまになのは、私事ですが、大変私事ですが、それでも多分大した関心が無いからだと思います。
まぁ、身近なのかもよく分からないある人が、道を選ぼうとしていて。 その人がどう進もうとその人の勝手だし、私は私に迷惑がかからなければそれで言いと、淡白だけれどもそんな感じ。 ただ、その人の行く道が、明らかに間違っているとしか思えない。間違いと言うか……詐欺に合ってるだろお前、みたいな感覚。 それらしい忠告だけはしているけど、別に結局どうなろうがいい筈なのに、何故あえてそんな忠告しているのだろうと。
最近極たまに、思いを廻らす事があります。 それは、自分に災厄が降り掛かりそうだから水際で防ごうとしているのか、それとも、彼女の事を心配でもしていると言うのだろうか。 自分でもよく分からなくて、どっちでもいいような気もするのだけれど、理由に据えるには開きが有り過ぎて選べない。
初めの文にしておいてなんですが、祝福なんかこれっぽっちもしてはいない気がする。 けれどそれはその人がその道に行く事に賛同出来ないからではなくて、どうなろうがどうでもいいからだと思う。 冷淡なんですよ、基本的に。 祝福っつーよりも、まずは興味を持てるかかしら(爆)。
結局、建前だけでも祝福してやればいいんだろう。 とは思っても、もうその人に関しては建前も働かない興味の無さ。 それは確かだし、それは変わらないのだけれど。 それならば何故、極たまにでも思うのだろう。
祝福すべきか、せざるべきか。
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