記憶の記録。
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新年の挨拶より先ずはじめに。 姉に頼まれ、本日より代筆致しますチリです。 姉が3日前に眠剤と安定剤をオーバードラッグし、入院して居ります。 で、今日完全覚醒し、ストレスによる血糖値上昇の為、内科にて引き続き入院生活を送ることになりました。精神面では、矢張り少し不安定ですが酸素量も安定している様です。
改めまして、明けましておめでとう御座います。本年も姉、S氏共々よろしくお願い致します。
えー、先ず姉が1週間書いていないと言っていたので、ざーっとかきます。
12月31日:姉とS氏は紅白を見て、チャンネルをなんとなく変えてうっかりV6の岡田君が映っていたらしく、S氏にそばを作ってもらって二人で年越しをしたらしい。(チリはのんちゃんとカラオケで年越した為)
1月1日:午前2時くらいにチリとのんちゃん帰宅。姉は寝ぼけて「おかえり」を言ってくれ、その後は爆睡。姉は午後4時くらいに起き、S氏を見送った。晩は各自適当に食べて午後11時頃に就寝
1月2日:姉とS氏の共通の友達、きよりちゃんが来宅。なんやかんやしつつ晩になり、夕飯は鍋を食った。就寝は11;30ころ。割と早めに寝つけてた様子。精神面は友達が来たという在る意味「良い緊張感」があった。
1月3日;午前10時頃に姉ときよりちゃん起床。きよりちゃんが朝ごはんの材料を買いにスーパーへ。姉とチリはお留守番。1時間もしないうちに帰宅。 フレンチトーストを作ってくれるらしく、手際よく準備をしてくれた。 姉はその姿を見て、前の自分の姿を重ねて見てしまったらしく、それを見るのを回避する為にPCをなんとなく見ていたら手と目をジャックされてしまい、しんどくなってしまうページを見せられてメンタル面に大ダメージ。 とりあえず作ってくれたフレンチトーストを食べてすぐに横になった。 午後4時半頃にきよりちゃんを送りに駅まで姉とチリと2人で送った。 その後、コンビにを回り6時くらいに帰宅。早めに薬を飲み、ワンピのビデオを見たおし、午前2時半頃に就寝。
1月4日:チリが10時頃に起きると姉はリビングで寝転んでいた・・・いや、倒れていた。「おはようさん。どしたん?大丈夫」と姉に聞くと「・・・大丈夫じゃない・・・教会行ってきた」・・・へっ!?リビングにあるノーパソの上にはKRKちゃんが手紙を書いてくれてた。「チリが起きる前に帰ってきてくれてよかった〜」と言われ、「まぁ、善かった」と思った。 それからは家でゆっくりしていた。夕方に母が買い物に誘ってくれ、姉と母二人で買い物に出かけた。1時間ほどで帰宅。母は卵のおすましを作ってくれ、寿司を買ってきてくれて、晩飯は姉とチリで食った。午後7時頃S氏が帰宅。チリはS氏が帰ってくると同時に寝た。
1月5日:受診日。チリはダウンしており留守番してて、姉とS氏二人で病院へは行った。昼前に姉達が帰ってきた。思ったより落ち着いており安心した。昼過ぎに姉達はK氏に買い物に行った。チリものんちゃんとお出かけした。三時過ぎに姉から電話がかかってきてた、が、気付けなかった。 5時ごろに電話に気付き折り返し電話するも出ず、母、S氏に電話した。 状況をなんとか把握し、のんちゃんとK市の駅で別れ、バスに乗ってから姉に電話を何回かかけると出てくれ、泣きながら姉は「御免」を連発していた。暫く話をしていたが、勝手に手をジャックされ、電話が切れてしまった。もう一度かけなおして話をしてたがまたも切れてしまった。バスも出発していたので仕方なく携帯を直して自宅への岐路を急いだ。門を開けると洗面所の灯りが点いており、ひたすら「ヤバイ!」と思い急いで玄関の戸を開けた。矢張り姉は洗面所に居り自傷はしていなかったものの眠剤と安定剤を、自傷の回避として処方されているより多くの量を服用してしまったらしい。姉はチリが帰って1時間もしないうちにろれつが回らなくなり、とりあえず部屋へ姉を連れて行き、飲んだ薬の量をIHSのSちゃんに聞き、S氏に相談し、通ってる病院へ連絡し、母と共に病院へ行き、胃洗浄をし、そのままその晩入院という形になった。酸素量と循環を診る為だ。
1月6日:覚醒すれば退院出来ると聞いていたのでS氏に早めに姉のとこへいってもらったが、半覚醒状態で完全覚醒までは至らず、もう一日様子を診ることになった。呼びかけには反応できたがまどろんでる感じだった。
1月7日:午前10時半頃S氏と病院へ行った。姉はほぼ覚醒しており水も経口摂取出来るようになってた。が、ストレスによる血糖値の上昇の為、引き続き内科病棟で入院という形になった(らしい)。姉の担当医のM先生が姉を往診しに来てくれ、姉にそう伝えたそうだ。
今日まではそんな感じでした。明日からは姉が書けたら書き、できなさそうならチリが代筆するという形になると思う。
あかり
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