記憶の記録。
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今日の午後は病棟レクリエーションがあり、他の患者のほとんどはそちらへ引率されて出掛けていった。私は看護士さんに「男性と一緒にいるのが怖いので」と正直に告げて欠席。おかげで、入院して以来初めてデイルームに座り、テレビを見ることが出来た。静かなデイルームの空気に心底安らいだ。他にも欠席した患者さんが数名いたので30分ほどで部屋に戻った。だから得られた情報は国生さゆりが離婚したことぐらいなのだが、とても貴重な時間だった。
さて、三度目の正直で先生と会うことが出来た。円満退職出来たこと、人格間の混乱が落ち着いたこと、マッピングと誓約書というアイテムを思いだし、自分達でそれを書けたこと等を話した。M先生は非常に驚き、喜んでくれた。そして、これからの事−−−O崎先生はいらないと信じてくれ、O先生には「無理です」と断言された『福祉』の手を借りることについても、「あかりさんにとって一番いい道を選んでいきましょう」と言ってくださった。嬉しくて、本当に泣きそうになった。『私』達は、O崎先生が「あかりさんたちには必要ないわよ」と言われたことに感謝している。『私』達の能力と生きる力を、誰よりも信じてくれていたから。O先生が「無理ですね」と言われたことに納得している。確かにこの病気ではまだまだ、そして個人クリニックには高いハードルだということを知っているから。 でも、それでも。 診断されてから8年以上、発病してからは25年以上。 『私』達は、とても生き難かった。もう『私一人』では、生きていくのが疲れ過ぎていた。もう本当に、限界なのだ。 もちろん、福祉の手を借りられると決まったわけではなく、本当に大変のはこれからだ。でも、今日のM先生の「同意と協調」は、それだけで『私』達の心を救ってくれるに充分だった。 『私一人』と書いたが、メンタル面では決してそうでないことを忘れてはいない。M先生、母、チリ、S、この日記を読んでくれているお友達のみんな。 本当にいつも有難う。『私』達は、きっと生きていけると思います。生きていっていいんだと、信じます。
日常的な意味ではなく、治療的な意味での喜びを本当に何年ぶりかに思い出した。 それは希望だということも。
あかり
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