ライフ・ストーリー
DiaryINDEX|past|will
風薫る5月だというのに、今年は爽やかな日が少ないですね。
なつかしい数人の方からメールをいただきました。
近いうちに雑記を再開予定とお伝えしましたが、まだその目途がたっていないので、こちらで一言(読んでくださっていればいいのですが・・・)。
もう少々お待ちください♪
話は突然変わりますが。
前髪が伸びてきたので、そろそろ美容室へ行こうと思っています。
数年前のきょうのわたしは何をしていたのかな? と日記をめくってみると、美容室へ行っていました。 髪を切りたくなる時って、なんとなく同じ季節の 同じ時期になることが多い気がします。
そんな日の日記を再録します。
- * -
「月は東に日は西に」
久しぶりに美容室でカットとトリートメント。
その間ずっと、森本哲郎さんの『月は東に −蕪村の夢 漱石の幻−』を読んでいました。いやあ、いい本です。天明を生きた蕪村の俳句・詩歌と明治の文豪・漱石の『草枕』をはじめとする小説や詩歌の類似性を説かれています。ふたりを「結び付けていたのは、磊落な心境に達したいというひたすらな夢だった」と。 違う時代に生きながらふたりは同じ「桃源郷」を求めつづけたのですね。
オランダの歴史家ヨハン・ホイジンガ(1872-1945)の名著『中世の秋』を引いてあるあたりがわたし好み。 あの有名な「より美しい世界を求める」ための三つの道、
第一の道「世界の外に通じる俗世放棄の道」 第二の道「世界そのものの改良と完成をめざす」現実への道 第三の道「生活そのものを、美をもって高め、社会そのものを、 遊びとかたちとで満たそう(理想の魅力によって、 現実を中和しよう)とする」道
のなかの、第三の道を蕪村と漱石のふたりは歩んだ、という説です。 ふむふむ面白い。
平行して読んでいる『漱石とグールド』(横田庄一郎編/朔北社)には、カナダのピアニスト、グレン・グールドが漱石の『草枕』をくり返し愛読し、自ら『草枕』を朗読しレコード化した、とありました。『草枕』は第三の道を象徴するような作品。『草枕』の世界を愛したグールドは、音楽によって「第三の道」を歩んだひとりだったのかも知れません。
こうして、好きな作家や詩人、音楽家たちが時代や国を超えてつながっていくのは、ほんとうに面白いものですね。
-*-
一篇の詩をどうぞ・・・
-*-
「心のなかで」
陽を受けた果実が熟されてゆくやうに 心のなかで人生が熟されてくれるといい。 さうして街かどをゆく人達の 花のやうな姿が それぞれの屋根の下に折り込まれる 人生のからくりと祝福とが 一つ残らず正しく読み取れてくれるといい。 さうして今まで微かだつたものの形が 教会の塔のやうに 空を切つてはつきり見えてくれるといい。 さうして淀んでゐた繰り言が 歌のやうに明るく 金のやうに重たくなつてくれるといい。
/野村英夫
(200○.5.25 一部改稿)
- * -
野村英夫はわたしの好きな軽井沢派のカトリック詩人です。
上の詩をまたここに載せたくて、雑文を再録しました。
きょうは野村英夫の詩をもう一篇。
「心のなかの石段を」
心のなかの石段を一段一段昇つてゆかう。 丁度、あの中世の偉大な石工たちが 築き上げた美しい聖堂を 一段一段、塔高く昇つてゆくやうに、 私達の心のなかの石段を 一段一段、空高く昇つてゆかう。 さうしてもう一度だけその頂から 曠野の果ての荘厳な落日に 僧院の庭に音立てる秋の落葉に 人々の群がつた街かどに また愛するものの佇む窓辺に 別離の眼なざしを向けよう。 さうしていつか私達の生涯が このやうに荘厳に終えて呉れるといい。
/野村英夫 『司祭館』より
☆野村英夫は1917(大正6)年東京生まれ。 早稲田大仏法科に学び、毎年夏は病気療養のため 軽井沢(追分)で過ごします。 立原道造や堀辰雄に師事した「四季」派の詩人。 立原の死後、『立原道造全集』の編集に参加。 昭和21年に小詩集『司祭館』を発刊。 昭和23年、30歳。フランスを愛した詩人は 静かに世を去りました。
- * -
堀辰雄 - 野村英夫 - 福永武彦
好きな人たちが、軽井沢というひとつの場所でつながっていくのは、ほんとうに楽しいものです。
そして、好きな作家や詩人たちは、わたしの心のなかという ひとつの場所でも、つながっていくのです。
|