ライフ・ストーリー
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1頁目を開けると、「室生犀星文学紀行」とタイトルがあって、金沢の東の郭(くるわ)町の写真が載っています。これは昭和45年初版発行の『室生犀星集』(学習研究社)。ふと懐かしくなって開いてみました。
この本の編集委員のひとりは北杜夫、監修委員は伊藤整、井上靖、川端康成、三島由紀夫。すごい顔ぶれです。
犀星は金沢で生まれ金沢で育ちますが、「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と自らうたったように、上京後、成功してからの晩年は金沢に帰ることはありませんでした。それでいて、ふるさと金沢を強く愛していた犀星の文章からは、加賀百万石の城下町の古い伝統と、爛熟した文化のかほりがしてきます。
犀星が金沢の次に愛した場所は軽井沢。 芥川龍之介や堀辰雄、立原道造のように軽井沢に頻繁に通います。福永武彦や津村信夫も犀星の軽井沢別邸をよく訪れたようです。犀星は軽井沢派の先駆者でした。
金沢を愛しながら、その複雑な生い立ちから故郷へ帰ることを望まず、東京と金沢の中間点にある軽井沢の寒さに北国と同じ親しみを感じて、犀星は軽井沢を第二の故郷としたのかも知れません。
紀行文につづくのは、『抒情小曲集』。わたしの好きな室生犀星の詩集です。その小曲集より一篇の詩をどうぞ。
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「 犀川 」
うつくしき川は流れたり
そのほとりに我は住みぬ
春は春、なつはなつの
花つける堤に坐りて
こまやけき本のなさけと愛とを知りぬ
いまもその川のながれ
美しき微風とともに
蒼き波たたへたり
☆室生犀星は明治22(1889)年石川県金沢市生まれ。 父は加賀藩の足軽組頭を勤めた小畠弥左衛門吉種。 生後すぐに生家近くの犀川のほとりにある真言宗寺院 雨宝院に貰われ、住職・室生真乗の養嗣子となります。 白秋に心酔し24歳で上京。29歳のとき第一詩集 『愛の詩集』、つづけて『抒情小曲集』を自費出版。 以降、詩人・小説家として活躍。萩原朔太郎の好敵手。 昭和37(1962)年、73歳で肺がんにより永眠するまで 精力的に詩歌・随筆を書きつづけました。
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