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やってきました、鍋の季節、といきたいが、 - 2003年12月01日(月) なーんだかあんまり寒くならないなあ。 もう12月っすよ奥さんっ なんとなく、今ぐらいの時期だと鉄筋コンクリート建ての3階の ワタクシの部屋は、帰宅直後は「本格的に冬到来」な勢いで 冷え冷えしていて、ビールを冷蔵庫に入れ忘れていてもすっかり ケロンパもびっくりなくらいキンキンな状況だったりもするのだが、 どうなってんだ、今年の天気は? 仕事中に雨に打たれた時には、さみーさみー言ってたけれども、 とてもじゃないが12月の寒さではない。 思えば、夏もなんだか夏らしくなかったっすよね? メリハリのない気候ってのも如何なものか? まあそれはそれとして、 とりあえず冬と言えば鍋! ということで、毎度の楽しみの「一人鍋」でございます。 「一人鍋」の利点は、 ・うざったい「鍋奉行」がいないこと。 ・アク取りに情熱的な「アク代官」がいないこと。 ・それゆえに自分の好きなペースで鍋の進行が出来ること。 ・自分好みの味付けにできること。(相当薄味) ・結論として、「とにかく邪魔が入らないこと」 今季既に3本の「一人鍋」を敢行 1本目:水炊き ポン酢でいただく。 2本目:昆布つゆをほんの少量+大根おろしワンサカな雰囲気の鍋。 3本目:キムチ鍋。ただしキムチは少しだけ入れる。 で、明日ついに4本目に突入である。 今回は「味噌」でいこうかと。 具。 鱈・白菜・葱・榎茸 ・・・・・以上。 昆布と白菜でだしを取るようなノリで。 味噌は入れすぎると翌日のうどんが少々辛口になってしまうので、 出来うる限り少なめに、ほんと気分程度、 ココ重要です。 鍋の楽しみは、「うどん」あるいは「おじや」 いわば、そこに辿り着くために鍋を執り行なっているようなものだ。 鍋の最中が楽しいのではない。少なくともワタクシにとっては。 それはあくまでもプロローグに過ぎない。 鍋に残った「つゆ」を一晩寝かせ、翌日の朝食に 「うどん」あるいは「おじや」として食する。 これほど至福のひとときがあろうか、いやない(反語) 口元がつい緩む。 涙腺が膨らむ。 鼓動が高鳴る。 前日の鍋の余韻にゆっくりと浸りながら、 猫舌を圧してでも「うどん」あるいは「おじや」の感触を、 そう思い起こせば前日の鍋、 白菜を刻んでいるその瞬間から既に、 翌朝の「うどん」あるいは「おじや」へと向かっていたのだ。 忘れてはいけない。 「おじや」の場合にはやはり「溶き卵」が必要である。 卵の入っていない「鍋の後のおじや」などを、もし将来の妻?が出そうものなら、 即刻離婚届をつきつけるだろう。 損害賠償請求もしかねないくらいの出来事だ。 ...
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