アルの日記
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2001年11月27日(火) |
コンプレックスの処理 |
突然だがコンプレックスを上手く処理できなかったために泥沼状態に陥ってしまったり精神的・神経的な病にまで発展してしまったという人は意外に多いのではないのでしょうか? かく言う私自身もその中の一人でありました、涙。 今、振り返ってみると昔の私はコンプレックスの塊のような人間であったような気がしていて、さらにそれは甘やかされて育ったことによる根拠のないプライドの高さにより助長されていたように思うのです(深く追求していくと親・親戚、友人、教育、日本社会・文化などなど際限なく繋がっていってしまうのでここではあまり言及しないことします)。 誰でもコンプレックスはあるものだし、今でも私はその影響下にあるわけですが、何て言うんでしょう・・・コンプレックスに対するアプローチの仕方が変わってきたことによってかなりより良く生きれるようになってきたなぁ〜っていう感じがしているのです。 結論から言ってしまうと、コンプレックスはその人自身が真面目に向き合うべき課題であり、人生の目標みたいなものにもなり得るんじゃないかなぁ〜・・・って思ったりしています。
よく言われているように、陥りやすいものとして3つのコンプレックスの処理の仕方がありますよね。 他を引き下げる心理、自己卑下の心理、反動形成ですね。
他を引き下げる心理と言うのは例えばひがみのようなもので「あいつはモテるがルックスが良いだけで性格は災厄だぜ〜」とか言ったりして自分の本心である「くやしさ」(=コンプレックス)を満足させようとする心理ですね。 でもこれは例えば、たまに居酒屋で上司の悪口を同僚と言い合ったりして溜まったストレスを発散させたりするようなモデレートなレベルでなら問題ないと思うのですがやっぱり行き過ぎてしまうとまずいような気がするのです。
自己卑下の心理と言うのは自身をなくして自分を責めてしまうわけですね。「あ〜、私は駄目な人間だ〜、人が簡単にできることが自分にはできない〜」(←かつての私、笑)とか生まれてすいません状態や鬱状態になってしまったりしてしまうのですね。 極端な人というのはこの「引き下げの心理」と「自己卑下の心理」を病的に行き来したりしてしまう傾向があると思うのです(←これもかつての私、笑)。 うまくバランスを取ることができずに逆の極端を走り続けてしまうのですね。
そして反動形成。 たとえば本当は大嫌いなのに大好きな「ふり」をしてしまったりすることですね。 これは厄介でした、涙。 世間知らずで無知で井の中の蛙であったのにいっちょ前にプライドだけは高く、素直になれなかった私はこの処理をしてしまって大変な目に会いました。 人を欺いているつもりが結局は自分をも欺いてしまうということになってしまうのですね。 そう、行きつく先は分裂なのですね。 あ〜、つらかったぁ〜・・・・・・あんまり良い思い出ではないので詳しくは語れないのですが・・・・・やっぱり素直が一番ですね、笑。
う〜ん・・・たかがコンプレックス・・・されどコンプレックス・・・処理の仕方によってずいぶん人生って変わってきてしまうもんだなぁ〜・・・なんて考えちゃったりしています。 以上、ふと思ったことを書き綴ってみました。 チャオ〜!
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