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2003年09月22日(月)  バリ3日前。

軽い気持ちで医者へ行きながら出社するはずだった。
こんな時期は病院もすいていて、すぐに自分の番が回ってきた。
まさか、予想だにしなかった一言を告げられるとは。

内診中。
医者「あー、こりゃだめだ。」
えっ!?
なんすか、なんすか!?なんなんですかっ!?
「肺炎になりかかってます。」
あれよ、あれよと、レントゲン室に連行され、
血も採られ、
レントゲン写真見ながら説明受ける自分。
医者「あなた男みたいなしっかりした骨だねぇー、何か運動やってたの?」
私 「いえ、なにも・・・」
ってかおいっ!
ちょっと、待て。
あたし事態を飲み込めてないんですけど。
「なんでもっと早く(病院に)来なかったのー!」
「あと一週間早ければ・・・」
・・・言われてることは十分聞こえてるんですが
このワタシが肺炎!?!?
肺炎って・・・。
自覚症状まるでゼロなんですけど。
風邪の延長としか思えないんですけど、熱もないし。
ってゆーか、あたしのバリは?
バリはどーなるわけぇ?!

医者「・・・旅行いつから?」
私 「25日からです。」
医者「うーん・・・行かれないかもよ?」
私 「・・・」
医者「旅行に行きたいならすぐ帰って絶対安静にしてなきゃだめ!」
私 「し、仕事なんですけど」
医者「だったら行かれないね」
私 「・・・」
医者「とにかく薬出しておきますから、24日もう一回診せに来なさい。」
私 「はい。」

・・・ボーゼンと会社に向かいながら
自分が「肺炎」を抱えている事実がぐるぐる。
肺炎ってだってふつー入院とかでしょう?
あたし24日に多少良くなっていたところでバリなんて行かれるわけない。
そんなことがあろうか・・・。
なんのために残業も頑張って休日も返上でここまでこぎ着けたと?
バリへ行くために頑張りすぎて体壊して、
あたしの努力は何だったの?
とりあえず、今日は安静にしていなければならないし、
会社に行って目先の問題だけ整理してさっさと帰ろうと思ったのだが、
いったん会社に入ってしまうとそうもいかず、
鈍子につかまり、なかなか帰れないし
肺炎の重さがイマイチみんなに伝わらないのが悔しい。
ってゆーか、わたしも肺炎なのに、熱もなく元気そうに見える手前
山積みの問題を残して帰るわけにもいかなくて
結局帰ったの2時半。

いっしょに旅行行く友人にすぐに連絡し、
キャンセルの可能性が高い旨を伝える。
当たり前のようにめちゃくちゃ驚く友人たち。
そりゃそーだよ、あたしもびっくりよ。
こんなにピンピンしてんのに、肺に影があったのよ。この目で見たのよ。
救われたのが二人旅でなかったこと。
ワタシが抜けても残りの二人で行ってもらえる。

ものすっごーく暗い気持ちで夜を迎える。
肺の影が消えるのに最低一週間・・・今日22日、バリ発ちは25日。
三日やそこらで治る病じゃねーよ。
さすがに・・・どうあがいても旅は無理だと断念する。
そして、意外にも冷静にキャンセル料の計算などしてしまい、
今日キャンセルするのと明日キャンセルするのでは大きく違うことに気づき、
泣く泣く決意。
夜8時過ぎ、代理店にキャンセルの電話を入れてすべて終了。
いったいなんだったんだろう。
80%荷造り完了のスーツケースを見てはやりきれない思いがこみ上げる。

上司に電話し、「肺炎で」しばらく休むことを伝える。
皮肉なことに、もとから旅行のために休暇届けを出していたので、
ほとんどの仕事に差し支えないわけで。
ってゆーか、バリの為に仕事を全部片づけてしまっていたので
誰にも迷惑なんてかけなくってよ?
あー、それだから余計に悔しいんじゃんッ!
どんなにあがいても、絶対安静の身は無抵抗。



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