2010年08月02日(月) |
蒸し暑い夜を過ごした。夜中から少しずつ少しずつ気温が下がり始めるのを肌で感じながら横になっていた。何度か、娘が下着姿で大の字になって眠っているのが気にかかり、おなかにタオルケットを掛け直す。しばらくすると娘はそれをけっぽっておなかを出す、の繰り返しで。ちょっと苦笑してしまう。まぁこんなもんか、と思いつつ、天井を見つめたり、ココアの回し車の音に耳を澄ましたりしている。 ほのかに空が白み始め。私は起き上がる。半分開けておいた窓を、全開にし、そうしてベランダに出る。ぬるく、じめっとした空気が横たわっている。風もほとんどない。私は大きく伸びをする。 しゃがみこんで、ラヴェンダーとデージーの、絡まり合った枝を解く。何だかもうこれが日課になってしまった。解けど解けど絡まり合う二人。同じプランターに植えた私が間違っていたのだなぁと反省。でも、何となく、実は二人仲がいいのかしらんとも思ったりする。 パスカリの、根元から新芽を出した一本。もう十センチを越えてしまった。早い早い。今のところ粉を噴く様子もなく。葉は元気なようだ。よかった。まだ赤い縁取りを持ったそれを、私はそっと指で撫でる。 桃色の、ぼんぼりのような花を三つつけている樹。そろそろ花を切ってやる時期かもしれない。まだきれいに咲いているけれど、この樹はとても小さい。樹の負担になってはかわいそうだ。今日帰ってきたら切ってやろうと私は決める。 その隣、蕾が開き始めたパスカリ。今回はパスカリらしい、真っ白の花のようで。なんだかほっとする。この前の花はなんだったんだろう。あんなに黄味がかって。私は首を傾げる。新しく出てきた枝葉も、ぐいぐい横に伸びて、なんだか樹が、大きく横に広がった感じ。 ベビーロマンティカは、四つの蕾がみんな揃って綻び出した。まぁるいまぁるい、ぽっとした花の形。まるでできたてのヨーグルトを、くるんとスプーンで掬ったような、そんな初々しさがある。今日か明日には、きれいに開くんだろう。その日が待ち遠しい。 ミミエデンはそんなベビーロマンティカの隣で、まだ紅味の残る葉を幾つか残して立っている。でも、この週末にずいぶん葉が緑色になった。どれもこれも歪みはなく。とても嬉しい。 そうしてホワイトクリスマスとマリリン・モンローは、新芽をぐいっと天に向けて立っている。ホワイトクリスマスから一つ、マリリン・モンローから二つ。どれも勢いのよさそうな芽だ。それでも何だろう、ホワイトクリスマスは特に、こんな最中でも静けさをもって佇んでおり。私はそんなホワイトクリスマスの立ち姿に、思わず見惚れてしまう。こういう姿、とても好きだ。 友人から貰った薔薇の枝を挿した、その枝から、ぶわっと新芽が噴き出して来ている。名前は知らない。どんな色の枝が生き残ってくれたのか、それも定かではない。花が咲いてくれるまで分からない。でも、この勢いのよい姿、惚れ惚れする。よかった、挿して。 私は立ち上がり、ベランダの手すりに寄りかかる。そうして改めて空を見上げる。今日は曇天のようだ。薄灰色の雲が空全体に広がっている。そのおかげで、じりじりした暑さはない。 それにしても。今朝は気分がいいのだ。とにかく心がすっきりしている。ずっと心に引っかかっていたことが、昨日晴れたからだ。 金曜日。友人から、私はきっと猫を飼ってはいけないんだと思う、もう私はひとりになる、といったメールが届く。私は慌てた。彼女がどこまで今追い詰まってしまっているのかを思って慌てた。このところ、彼女には不運なことが立て続けに起こり過ぎている。しばらくすると、もっと思いつめたメールが届く。私は頭を抱えた。どうしよう、本当は飛んで行きたいけれど、飛んでいける距離ではない。新幹線に乗っても数時間、私はそんなお金今持っていない。娘を置いていくことも無理だ。どうしたらいいんだろう。友人に今私ができること。それは何だろう。 そんなとき、少し前から連絡を頂いていた、子猫の飼い主さんから連絡が届く。目の悪い子猫ちゃんだけれども元気です、いいご縁になりますように、と書いてある。私はすがる思いで、連絡を取る。 事情をあけっぴろげに話した。友人が性犯罪被害者で、病気を抱えていること、でも、今までに何度も猫を育て、見送ってきていること、諸々のことを、正直に伝える。 これまで、病気を抱えている、しかも一人暮らし、というその二点で、すべての縁を失ってきた。検討させてください、と言った方から、全く連絡が来なくなったり、即座にお断りを受けることが殆どだった。今回も無理かもしれない、でも、と、私は縋った。検討していただけないでしょうか、と伝えたとき、先方から思ってもみない言葉が聴こえた。 「私の知人でも、そういう体験を経た人がいて、でも、猫がいたから生きる支えになった、と言ってました」。 私は耳を疑った。まさか、そんな言葉を聴くことになろうとは思ってもみなかった。一瞬絶句した。そしてその方が続ける。「ええ、もしこの子でよかったら、ぜひ」。 私は、電話に向かって深く深く頭を下げた。そして、今から友人と連絡を取るから、しばらく待って欲しいことを伝えた。 友人に連絡を取る。友人は、今、声が殆ど出ない。相手の声を聴き取ることはできるが、自分で声を出すことが殆どできない。でも。電話をかけてみる、と言ってくれた。 私は祈るような思いで、二人のやりとりが終わるのを待った。 「ねぇさん、ぜひにって言ってもらえた」。電話の終わった友人から連絡が入る。思わず私はその場で、万歳をしていた。そのくらい、嬉しかった。 それから彼女と、改めてここ数日のことを文字で話した。性犯罪被害者となったこと、そのことを今親や兄弟から、「どうして見返してやろうと頑張らないんだ!」と罵られたこと。私は必死に頑張ってここで生きようと踏みとどまっているのに、それが誰にも伝わらなくて、もう苦しくて苦しくて潰れそうになっていたこと。 私は思い出す。ついさっき、とあるサイトを見た折に見つけた書き込み。「声を上げた被害者はもはや弱者とはみなされない」というような認識が、まかり通っているらしく。その一連の書き込みを私は読んで、溜息をついた。声を上げるまでに、どれほどの思いを飲んで、どれほどの苦汁を飲んで、それでも声を上げようとするのか。そのことがちっとも、伝わっていない現実が、まだまだあるというそのことに。絶望したくなった。 友人が言う。「だから、乗り越えたふりをして生きていかなくちゃならなくなっちゃうんだよ、ねぇさんもそうでしょう」。「今もまだ闘っているのに、そのことは見落とされていくんだ」。「そうして被害者は、どんどん自分と現実とのギャップに苦しんで、苦しんで、時に押しつぶされてしまうんだ」と。 彼女の言葉を幾つも聴きながら、私は胸が軋んだ。その軋む音を聴きながら、唇を噛んだ。他に何も、できようもなかった。 ついこの間、私はとある通夜に出た。来年の「あの場所から」の撮影に参加したいと言っていた性犯罪被害者の、通夜に出た。とても小さな寂しい式で。でも。私は出てよかったと思っている。 彼女は来年参加したいと言っていた。だからそれまで生きるんだと言っていた。でもそれが、叶わなくなった。叶わなくなったのにはきっと、理由がある。その理由を、私は知らなければならないと思う。感じなくてはならないと思う。同じ被害者として。そしてこの「あの場所から」を企画した者の責任として。 「ねぇさん、こんなこと言ったら不謹慎かもしれないけれど。でもね、私は思う、彼女は彼女のやり方で、自分を解放したんだよ」。「そうするしかないほどきっと、自分と現実との間で潰されてしまったんだよ」。友人がそう言う。 だから私は敢えて言った。「でもだからこそ、私はあなたに、生きていて欲しいと、いつもいつも思っているんだよ」と。それが残酷な言葉であることは百も承知で。私はそう伝えた。 「私は、加害者なんてどうにでもなれって思う。加害者の将来なんてどうでもいい。そんなことより、私たちが今も常に闘い続けていることを分かって欲しい、同じくらい怒ってくれる人がほしいって、そう思ってる」。 彼女と話しながら、来年もきっと、「あの場所から」の撮影を実現させようと、私は心を新たにした。実現させなければならない。絶対に。
ママ、Oちゃん、結局どうなった? 帰宅した娘が一番に私に尋ねてくる。うん、猫、飼えることになったよ。そっかぁ、よかった。うん、よかった。あー、もう、本当に心配したんだから。そうだね、心配だったね。これ以上心配したら、白髪になるかと思うくらい心配したんだよ。ははは、大丈夫だ、白髪、ないよ。当たり前だよ、あったら困るよ! ははは。
じゃぁね、それじゃぁね。ママ、病院だから、お留守番、頼むよ。うん、分かってる。 私は階段を駆け下り、バス停へ向かう。ふと見ると、ベランダからこちらに娘が手を振っている。私も手を振り返す。 駅から電車に乗り、ごとごと揺られながら病院へ向かう。途中川を渡るところで、私は川をじっと見つめる。水嵩の増した、ゆったりした流れが朗々と流れている。こんな灰色の雲の下でも、川は静かな顔を見せ、淡々と流れ往く。 さぁ今日も一日が始まる。しかと歩いてゆかねば。 |
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