あららのつぶやき
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母の葬儀にたくさんの人々が集まって下さった。 普段は疎遠の親戚の方もこの時は多く、 ずいぶん年を召されたネ〜〜(自分達も同じに年をとっているのに)
夏休みになるとよく遊びに来た 東京にいる従兄弟夫婦(叔父は亡くなっているので代理)。
この従兄弟の父親は、あららの叔父 つまりあららの父親の弟に当たる。 私たちは「東京の叔父さん」とよび 大人たちは「テルさん」と呼んでいた。 この軍人だった人の新しい話を聞き「へ〜」と思ったの
この「叔父さん」顔半分ほっぺたからあごにかけて えぐられたような引きつり傷があった。 戦争で受けた傷という事は小さい時から知っていた。
戦後は銀行マンで、銀行の法律関係でよく地方へ講演に行く事があり 「『この傷でコワ〜イやくざ上がりかと思わんでください』 と講演の冒頭で皆の気持ちをほぐすんだヨ」と叔父の弁。
満州の中支で戦闘中に鉄砲が顔に命中! 病院に運ばれ、九死に一生を得られたが このままでは治療がおぼつかない。
日本へ送り返された。 その直後に叔父のいた連隊は全滅!!!! ===これがまず一つ====
送られた先は日本の広島軍事病院。 父親(あららの祖父)は見舞いに行って がっくりして帰ってきたとの事 「金はいらない、名誉が欲しい」と言って軍人になった叔父だから。。
その後、広島の病院から東京の病院へ移された。 そして一週間後、広島に原爆が落とされた。
背筋がゾーとするような運命の分かれ道を感じたに違いない。
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