Bon Voyage
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2010年03月07日(日) イタリア美の奇跡と世界遺産アマルフィの旅

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名古屋発ソウル経由、ミラノ経由、ローマ着まで何と15時間もの乗り継ぎの旅が始まりローマはレオナルド・ダ・ヴィンチ空港に着いた一日目が過ぎ翌日の二日目はローマからナポリま約200kmバスで移動。
 ナポリからバスで約一時間半ほど北にあるカゼルタ宮殿の見学からはじまった。イタリア、カンパニア州カゼルタ県カゼルタにある宮殿はブルボン家のナポリ王が建てたもので、18世紀にヨーロッパで建てられた中で最も巨大な宮殿といわれる。1996年、UNESCO世界遺産に登録された。
 

カゼルタ宮殿
ブルボン家のナポリ王が建てたもので、18世紀にヨーロッパで建てられた中で最も巨大な宮殿といわれる。1996年、UNESCO世界遺産に登録された。



1200以上の部屋と120ヘクタールの大規模な建築はパリのベルサイユ宮殿をしのぐことを目的として建てられたもの。











中央の白い柱のように見えるものは山の真ん中から出るように設計された滝。


卵城(伝説が残るナポリ最古の城)

カゼルタからバスを走らせて太陽の愛される陽気な港町サンタル・チア港の突端に立つ卵城
を車中から見学。
 卵城、 別名:カステル・デッローヴォ 城の基礎に埋め込まれた卵が壊れると同時に町も城も滅びるという伝説に由来するそうです .... ナポリ・サミットで村山首相が行ったところでしたが、場慣れしない村山首相は前日したたかお酒を飲んで二日酔いしサミットの宣言に出席できなかった。その言い訳に出された料理のオリーブ油にあたったといったから大騒ぎ。イタリア中から喧々囂々の非難が殺到。しかし、首脳陣のあいだでは出されれた料理は最高だったと絶賛された。村山さんは近くの病院に入院。情けない醜態を世界中にさらした。


はるかかなたにヴェスヴィオス火山が見える。サンタルチア港。


昼食に食べたミネストロ・スープ。

ピッツア・マルゲリータ


洗濯物が翻るナポリの風景


2010年03月06日(土) イタリア美の奇跡と世界遺産アマルフィの旅(その3)

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南イタリアの旅三日目はナポリからマテーラへ約254km走行。
 イタリア半島のかかとの部分の二つの世界遺産を終日かけて観光。


「世界遺産」マテーラの洞窟住居群


サッシと呼ばれる洞窟住居群はカルスト地形の谷間に重なる「洞窟住居群である。
マテーラは斜面上のの新市街とサッシ地区に分かれている。一帯は先史時代からの歴史があり、サッシも旧石器時代から時代を追って作られ現在も一部は住居として利用されている。1993年に世界遺産に登録された。



洞窟住居の中はロバや鶏などの家畜と同居。内部の様子が展示されていた。










昼食後、アルベロベッロへバス移動(約70km)
アルベロベッロのトゥルッリ地区観光。

トゥルッロと呼ばれるとんがり屋根の白壁の家屋が続くブーリア州にある街がアルベルベッロ。現在住居としても使用され土産物屋としても利用されている。



トゥルッロとは、石を積み重ねて石灰を塗った壁に円錐形の屋根を乗せた家のこと。




桜の花のようだけれど、アーモンドの花。


観光に来た日本人のよう子さんはここで恋に落ちて結婚。みやげ物やを営んでいる。日本のテレビにも良く出ている人で内部を見せてくれたが、ほとんどはみやげ物商品が並んでいて格安で日本人相手に商売熱心に売っていた。




屋根の上の模様は呪い師の家だったり、単なる装飾だったりする。


25平米で3000万円もするトゥルッロ。別荘にする人もいるとか。
日本人のよう子さんにここでの生活ぶりを尋ねると「不便以外のなにものでもない」という返事があった。電気水道はあるが、プロパン利用とか。寒いときはマイナスとなり、夏は40度以上とか。住むのはなかなか大変そうだ。

※昼食はリコッタチーズのラビオリを食べたが美味。


2010年03月05日(金) イタリア美の奇跡と世界遺産アマルフィの旅(その4)

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南イタリアの旅4日目はアルベロベッロを出発してソレントへ移動。約300kmの移動。


「帰れソレントへ」の歌でおなじみのソレントは海を挟んでナポリと向かい合うような位置にあるリゾート地。ヴェスヴィオス火山をはるか向こうに望む美しい街。


ソレントからアマルフィ海岸沿いの都市を巡るドライブを愉しむ。
美しい景色が広がるアマルフィは10〜11世紀にはヴェネツイア、ピサ、ジェノバと並ぶ海運共和国として君臨。14世紀はじめには羅針盤を実用化したフラヴィオ・ジョイアの故郷でもある。



絶壁にへばりつくように建つ美しい家。金持ちが多い。



ポジターノの丘から眺めた絶景スポット。


翌日に観光する予定だった「エメラルド洞窟観光」は天候により見ることができないかもしれないという。海岸線の洞窟そばまで来たついでに様子を聞いてみると今日は洞窟内があいていて観光できるという。明日の天気はわからないので洞窟が開いているときに見てしまおうと急遽予定変更してエメラルド洞窟観光となる。ボートに乗り洞窟内に入る。波もなく静か。




本当にエメラルドのような水の色。


光の屈折によりエメラルド色に見える。これが天候が荒れると洞窟に入れないばかりか、波により海岸に近寄ることも出来ないほどとなるとか。ラッキーな日となった。







ホテルの部屋から見た夜景。



2010年03月04日(木) イタリア美の奇跡と世界遺産アマルフィの旅(その5)

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南イタリアの旅5日目は朝から猛烈な風と雨。昨日洞窟観光しておいて正解だった。
今日は船を借り切ってアマルフィ海岸クルーズの予定が激しい風と雨で岸壁まで船を寄せることも出来ずクルーズはなしとなった。


雨雲がたちこめて風が強くなってきた朝の風景。



岸壁に打ち寄せる波しぶき。


アマルフィクルーズがなしとなって急遽アマルフィ海岸の東の入り口にある歴史ある街サレルノに向かう。
災い転じて、イタリアに来て初めて街の人たちと触れ合うことができる町歩きとなった。
魚市場があり、パン屋がありと街の人たちが行きかう人間臭い場所にやってきて嬉しくなった。旅はこうでなくっちゃね。



魚市場にやってきた。魚をさばいている人、おばさんたちが魚を選んで声をかけてとにぎやかだ。


「ちょっと、もっとまけなさいよ」「なにいってんだよ、これいじょうまけられないよ」


海運王国の繁栄を物語る街の象徴としてこんなに素晴らしいドゥオーモが建っていた。創建は6世紀。入り口には11世紀にコンスタンチノープルで鋳造された青銅の扉が残る。


中も立派。


雨がこやみになってカフェにここの有名なお菓子を発見!!!


左のお菓子、女性の何かに似ていませんか?(笑)カプチーノと共においしく食べました。
外側は生クリームかアイスクリームのようなもので覆われていて中はスポンジとカスタードが入っていておいしかったです。

昼食はイカのサラダとボンゴレパスタを食べました。沖縄出身の姉妹と同席。最高に愉快な人たちで普天間基地の話題から結婚生活までお腹をかかえて笑いあって食事した最高においしい会話と昼食でした。


昼食後はポンペイへ移動。
古代ローマ時代、地方都市のひとつだったポンペイは紀元79年、ヴェスヴィオス火山の噴火により街全体が灰の下に埋まったが、18世紀初頭からはじまった発掘調査によ0ってその姿が徐々に現われた。

世界遺産ポンペイ遺跡観光。有名な「猛犬注意」のモザイク画。邸宅玄関前の遺跡。




秘儀荘
大小90の部屋のほか、ワイン製造所もあった邸宅。ディオニュソス信仰の入信儀式がモチーフとされる『ディオニュソス秘儀の図』。等身大で描かれた人物と、赤色の背景が特徴。


レモン農園

美しいラッパ水仙の群れ
左横に二匹の黒い犬がたわむれ、写真真ん中には両耳がひょっこりみえる一匹の黒い犬が可愛かった。黄色い水仙の群れの中に真っ黒な犬。


2010年03月03日(水) イタリ美の奇跡と世界遺産アマルフィの旅(その6)

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 イタリアの旅6日目はローマ歴史地区の観光からはじまり、そして終了する。


朝早くおきてホテルのそばを散歩。先ずは地下鉄とバス乗り放題の一日券をテルミニ駅で購入(4ユーロ)。

観客用の馬車が駅前目指してご出勤。


コンスタンティヌス帝の凱旋門
コンスタンティヌス帝のミルヴォ橋での戦勝を祝い、315年に建造されたもの。3連アーチがあり、高さは28m。
古代から現代までの歴史を見守るローマ最大規模の凱旋門。



コロッセオ
古代人が熱狂た闘技場跡。猛獣と剣闘士がここで戦ったのかと思うと歓声まできこえてきそうだ。奴隷と猛獣がどちらか死ぬまで戦った場所。人間は娯楽の為に残虐なことをしたものだ。



サンタンジェロ城
ヴァチカン市国にあるサンタンジェロ城
ヴァチカンは世界最小の独立国家である。ここにある建造物と美術品は世界最高峰とも言われている。サンタンジェロはかつてはハドリアヌス帝の廟であったが、5世紀要塞に改築された。この城はオペラ『トスカ』の舞台となったところで、「歌に生き愛に生きた」歌姫トスカがこの城の屋上から身を投げた。


テヴェレ川左岸に見えるのはカトリックの最高聖域サン・ピエトロ大聖堂がみえる。


コンスタンティヌス帝はローマで壮絶な殉教を遂げた聖ペトロが没した場所に寺院を建てることを命令。4世紀半ばにサン・ピエトロ大聖堂が創建された。



小学生の遠足。みんなよい子にしていました。




観光客が一度は訪れるトレビの泉。
映画『ローマの休日』でオードリー・ヘップバーンが買ったジェラートをこのそばの店で買って食べた。おいちかった!

世界中からやってきた観光客でごったがえす通り。スリも稼ぎ時とばかりに横行しています。


地下鉄とバスの一日券を買って先ずはヴァチカン美術館へ行く。



















この美しい螺旋階段をみてNYのグッゲンハイム美術館の螺旋階段をふと思い出した。


ヴァチカン美術館の無数の美はもう写真に写しきれないほど絢爛。まさに至宝。
ヴァチカン宮殿のほぼ全体が展示室となっていて総長距離は7kmにも及ぶ。16世紀のユリウス2世の時代の美術館としての母体からはじまり、18世紀に一般公開されるようになった。所蔵品のほとんどは歴代法王の美術コレクションである。

続いてヴァチカン美術館の最高峰システィーナ礼拝堂へと向かう。そこにはミケランジェロの最高傑作『最後の審判』と天井画が埋め尽くされている。静粛に、撮影厳禁と守衛が数人みはっていて厳重。世界最高の美術品とミケランジェロ最高傑作を堪能して外へ出た。
そとは激しい雨。
イタリア最後の日にとうとう激しい雨に降られた。雨の中バスに乗りミケランジェロの設計した広場へと向かう。今回の旅の目的の一つ。カンピドーリオの丘へ向かう。


ミケランジェロの設計した階段と広場。


2,500年栄光の歴史が今も残ることに感動する。ミケランジェロ偉大なり。



雨の中フォロ・ローマノの遺跡群をみに。









土砂降りの雨の中、バスに乗りバルベリーニ広場へと向かう。
「トリトーネの噴水」
1642年ウスバヌス8世の命によりベルニーニが完成した噴水である。台座にイルカ像と巨大な貝が配され、その上をトリトーネ像がほら貝から水を噴き上げている。


ローマにはお洒落なカフェがある。ここは映画にも良く出てくるし、マルチェロマストロヤンニがよくお茶しにきたところとか。





こうして私の「ローマの休日」は」春雨にけぶるなか静かに幕を下ろしたのだった。



2009年12月27日(日) バルセロナ建築の旅(その1)

 12月15日(火)〜12月20日(日)まで飛行機代とホテル代込みでわずか9万円のチケットが入手できたので夫と私の二人旅を決行。
 (名古屋)中部国際空港を11時55分発ヘルシンキ経由でスペインはバルセロナ着20時20分着までの長旅。

 今回の旅の目的はスペインカタルニア地方の偉大な建築家アントニオ・ガウディの建築物を見てまわるのが目的。その間、ガウディのライバルと称されていたリュイス・ドメネク・イ・モンタネールの設計したカタルーニャ音楽堂、サン・パウ病院、そして近代建築の三大巨匠と呼ばれるミースが1929年のバルセロナ万国博覧会で建設されたドイツ館、バルセロナ・パヴィリオンを見に行くのが主な目的だ。

スペインに来てピカソ美術館へいかないてはないのでピカソ美術館も見るという見るものいっぱいのバルセロナの旅。

先ずは乗り継ぎのフィンランド上空を写す。





フィンランドの作家トーベ・ヤンソンのムーミン・シリーズでおなじみのムーミンが飛行場内にいた。


飛行場内にいた子供たちが急に走り出した方向をみたら何とサンタクロースがいるではないか!今のサンタクロースはトナカイともども飛行機に乗るのかな?



そしてしばらくするとフィンランドから乗り継いでいよいよバルセロナ行きの飛行機に乗り換え着席したとたん、機長から「不幸なお知らせがあります。メカニックの故障がみつかり修理しますので1時間お待ちください」とのこと。
メカの修理が1時間で済むような飛行機じゃあ落ちてしまいそうで怖い。
と思っていたら案の定、飛行機を乗りかえてくださいという。
マイナス19度の外気に触れながら送迎用のバスに乗り込んでかえの飛行機に乗り込む。
バルセロナに着くと1時間も到着が遅れて夜の9時半になっていた。それから予約しておいたホテルを探すのは大変だが、運が良いことに9万円の飛行機代の中には行きだけホテルへの送迎がついていた。
飛行場で名前を書いたカードを持った運転手にあってホテルまで送ってもらえて本当に良かった。帰りは地下鉄とバスを乗り継いで飛行場まで行く予定。

これでひとまず一日目は終了。

(続く)


2009年12月26日(土) バルセロナ建築の旅(その2)

 今回の旅はガウディの建築物を見て回るのが主な目的である。
 夫は大学時代よりガウディが好きだった。大学時代から付き合っていた私も彼の影響を受けていて一度はバルセロナに行きたいと思っていた。夫は好きなガウディの作品を見るためにバルセロナに行ったことがあったが、私はバルセロナは今回が始めて。今回はわずか9万円という格安のチケットを入手できたので夫を案内人にしてあちこち詳しい解説を聞きながら旅ができると楽しみにしていた。
 
さて、そのガウディについて概要を説明しよう。
 アントニオ・ガウディ(1852〜1926)はカタルーニャ南部のレウス郊外で銅版機具職人の家庭に生まれた。幼少の頃よりリウマチに悩まされ、内気で病弱な少年だった。自然を相手に一人で遊ぶ「ことが多かったが、自然を観察する力を養うことができた。ガウディ家は裕福ではなかったため、建築家を目指してバルセロナに移り住み、生活費を稼ぐためアルバイトに明け暮れた。建築現場でのアルバイトはガウディの血となり肉となった。サグラダ・ファミリアの2代目建築家に推挙されたのは1883年。31歳のとき。それから1926年路面電車にひかれて亡くなるまで43年間この教会に生涯を捧げたのだった。サグラダ・ファミリアはまさにガウディそのものであるといってよいだろう。
(『world guide』(jtb publishingから)

 バルセロナについて二日目は先ずホテルの近くにあるグエル公園へ歩いていくことにした。
 ここでグエルについて説明しよう。
 ガウディの作品には「グエル」という名前がついたものが多い。 
 それはエウセビオ・グエル(1846〜1918)がガウディ建築のよき理解者であり、多くの作品を依頼したからである。かれは繊維工場やタイル工場を経営し、当時のバルセロナを代表とするブルジョアだった。彼は1878年パリ万博に出品された皮手袋店のショーケースのデザインに魅了された。その設計者を探し見つけたのがガウディだったのである。当時のガウディは才能はあってもスポンサーに恵まれなかった。しかし、グエルという最高の理解者を得たことで次々に世間の注目を集める大きな仕事を手がけるようになった。ガウディの才能を引き出したのはグエルだといってよいだろう。

さて、説明はこのへんにしてそのグエル公園へ行くことにする。



 朝日がさすグエル公園内
粉砕タイルで装飾された波打つベンチが美しい。
画家ミロがこのベンチのタイル装飾に創作のヒントを得たという話は有名だ。









自然を友としてきたガウデイはこのような爬虫類を模したものが多く見られる。


門扉のデザインもすばらしい。このへんシュロの木が多いのでシュロのデザインだろうか。さすが銅版機具職人の息子だった片鱗がみられる。

グエル公園を後にして次はバルセロ市内をツアーするブス・ツリステイックの二日券を買い、バスに乗り込み街をみてまわり、途中でおり、カサ・ミラと呼ばれる集合住宅へと急ぐ。



カサ・ミラは独特の形状からラ・ペドレラ(石切り場)とも呼ばれる。
中に入るとこのようにまるで海中に迷い込んだかのような幻想的な光景に魅せられる。




このやわらかい曲線の椅子もガウデイの設計。


カサ・ミラの模型。


屋根裏の放物線のアーチが美しい。


屋上に上がってみたらびっくり!!!!突如中世の騎士が面をかぶったような奇妙な煙突が出現。
右はるか遠方にあこがれのサグラダ・ファミリアが見える。
ああ!何と印象的な光景だろうか!




アーチの中に見えるサグラダ・ファミリア!!!!!!


1階部分

(続く)


2009年12月25日(金) バルセロナ建築の旅(その3)

 ガウデイの建築を見ると驚きの連続だ。想像を超える造形美と発想。
 この曲線や複雑な構造を図面に表すだけでも大変なことであり、またそれを作る大工の腕にも驚く。そしてこれら今まで誰も見たことも想像もしたこともないような建築造形を受け入れた建築主にも感動する。
 さてカサ・ミラの次はカサ・バトリョと呼ばれる建物を見に行くことにする。
カサ・バトリョとは建築主の名前である。グエル同様、バトリョは大きな繊維会社を営むブルジョアだった。隣の美しい建物が建つとバトリョは今まであった建物をもっと美しくしたいとガウデイに依頼した。しかし、ガウデイは改築を選び1フロア追加し隣の建物よりも高いものを作った。
ガウデイ円熟期を代表する最高に美しい建物だ。





粉砕ガラスと壁面タイルの屋根が美しい。ライトアップされる夜の顔は妖しいばかりとなる。
波打つような壁面には緑、青、茶の色ガラスがちりばめられている。うろこのような屋根。人骨のような柱や仮面のようなバルコニーが妖しいばかりだ。この誰も今まで見たことがないような独創的なデザインは当時も今もこれを越えることはできないほど幻想的で美しい。


ため息が出る。




開口部のドアが波打つように開かれたかと思うと目の前には幻想の海の只中にはいったかのよう。






暖炉。暖炉の中にチェアが両脇にある。



天井のこの柔らかな造形はどうだろうか!水がしたたっている様にも、女性の胸のふくらみにもにている。


屋上に出てみるとカサ・ミラで見たような奇妙な煙突が。





もうこのカサ・バトリョをみただけでも、バルセロナに来た甲斐があったと思った。幻想的で独創的な美しさ、曲線の美、匠のわざの極地を見る思いで感動で涙が出そうになった。夫が長年ガウディを愛し続けてきたわけが分かったように思う。
夫は置かれてあったノートに記念に名前とコメントを書いてきた。


ライト・アップされたカサ・バトリョ
(続く)


2009年12月24日(木) バルセロナ建築の旅(その4)

 バルセロナの街の中はクリスマス前で活気にあふれている。



 いつも海外旅行をするとその国の市場へ行くのが常だ。そこででかけたのが大きな市場。










 乳製品を売っていたので覗いていると隣で買っていたおばさんがここの店「ムイ・ビエンよ」というので私もチーズをハーフキロ買うことにした。この店の人は気が利いていて真空パックにしてあげようかというのでしてもらった。飛行機の気圧や温度でせっかくのチーズが溶けてしまう事があるので助かる。やっぱり「ムイ・ビエン」な店だった。


ランブラス通り
ここを「世界で最も美しい通り」と言ったのはイギリスのサマーセット・モームだ。中央の遊歩道にはプラタナスがあり、一年中観光客や市民で賑わう通りだ。
 ランブラス通りから少し行くと今度はレイアール広場へとでた。
 1878年ガウデイが建築家の資格を得た年に請け負ったバルセロナの公共施設、外灯がある。


レイアール広場の街灯
ガウデイ初めての作品。天辺に鉄兜がある。この鉄兜はガウデイが学生時代に興味を持った鉄細工の一つだったという。
 夜この外灯に明かりがともる所を見たいと持ったが、ここは治安が悪いところなので近づいてはいけないところ。昼間も危険。

次はグエル邸へと行くがあいにく改修工事のため中に入れずまったく残念無念。



グエル邸

ガウデイが活躍した時代はバルセロナ発展期にあたり、ガウデイ以外にも優れた作品を残す建築家たちがあらわれた。19世紀末から20世紀初頭にかけてバルセロナで流行したモデルニスモ建築と呼ばれる華麗な建築・芸術様式の建物である。
その中でもガウデイのライバルと呼ばれたリュイス・ドメネク・イ・モンタネールもすばらしい作品を残している。

カタルーニャ音楽堂






中を撮影できなかったは残念であるが、優美で繊細な美しさは天才ガウデイとはまったくことなるものである。ためいきがでるぐらい美しかった。この美しい音楽堂は今でも365日音楽会がジャズからヒップホップ、クラッシックまで開かれているという。
冷たい雨の中、次は1962年に完成した建築士会会館の壁にピカソのデッサン画が描かれているのを見に。


建築士会会館のピカソのデッサン画

ピカソは民族舞踊のサルダナや、巨人人形ギガンデスなど、少年時代にみたカタルーニャ地方の祭事を躍動感あふれるタッチで表現。
 ピカソの壁画を見たからにはピカソ美術館へ行くべし!


ピカソ美術館
(続く)


2009年12月23日(水) バルセロナ建築の旅(その5)

今回の旅は奇才ガウデイとモデルニスモ建築を見るだけでなく20世紀モダニズム建築の三大巨匠のひとり、ミース・ファン・デル・ローエが1929年のバルセロナ万国博覧会で建設されたドイツ館、バルセロナ・パヴィリオンを見に行くのが主な目的だ。


バルセロナ・パビリオン
(ミース・ファン・デル・ローエ記念館/Fundacion Mies Van der Rohe)




有名なバルセロナチェアがあった。
このシンプルで美しい佇まいはどうだろう!

ここを訪れる人はきっと建築家かそれを目指す人、あるいはミースの作品が好きな人だけだろう。
 
この美しい佇まいを眼の裏に焼き付けて次へと移動。

次はグエル別邸


グエル別邸はグエルが週末だけ過ごす別邸だったところ。かつては広大な庭園に囲まれていたが、その邸は現存しない。
タイルとレンガを組み合わせた外壁はガウデイ初期の作品にしばしばみられるムデハル様式と呼ばれるものだ。


幅約5メートルの正面の「ドラゴンの門」は錬鉄製。ギリシア神話に登場するドラゴン「黄金の林檎の番人」をモチーフにしたもの。この仕事でグエルの信頼を勝ち得たガウデイは次々と重要な仕事を任されるようになった。曲がった面に細かく砕いたタイルを利用したのはこの作品が最初。


ものすごい迫力でドラゴンが迫って大きく開いた口に飲み込まれそうだ。
すごい!

短い旅ゆえ、先を急ぐことにしよう。
次はカサ・ビセンスという建物。



カサ・ビセンスはガウデイが手がけた住宅建築の処女作といわれる。ムデハル様式(優雅な曲線を多用した装飾的な様式であることから、しばしばスペイン版アール・ヌーヴォーなどといわれているもの)の影響が顕著。

建築主のビセンスがタイル業者だったため、化粧タイルが多用されている。建築費がかさんで倒産の危機に陥ったが、建物が出来上がるとその宣伝効果で再び財を成したという。現在は個人住宅なので中に入ることはできない。



敷地内には大きなシュロの木が茂っていたことからガウデイは鉄柵にシュロの葉のパターンを用いている。
 中は個人住宅ゆえ見ることはできないので外から残念そうに写真を写していると中からオートバイに乗って門扉をあけて外出しようとしている男性が見えた。私は思わず、「すごい歴史的建造物にお住まいでうらやましいです」と声をかけると、何とこの男性は門を開けて、「私はもし、仕事に行かないなら中へ案内してあげるんだけど今から出かけるんでごめんなさい」と丁寧な美しい英語で答えてくれた。
「いやいや、結構ですよ、ガウデイが大好きで日本からはるばるとこの建物を見にきたんです」というと、ヘルメットをとって、じゃあ、中庭だけ見せてあげよう。こっちへいらっしゃいといってくれた。誰も今まで入ったことがない中庭へ入れると聞いて夫と私は体が震えてしまった。中庭の門扉を開けると赤い車で出かけようとしている金髪の若い美女がいた。男性は「これは私の妻です」と紹介してくださった。「若くてチャーミングな方ね」と言うとにっこり。私たちは夢中でいまだかつて誰も中に入れなかった中庭の写真を写すので忙しかった。金髪の美女が車で出かけたので私たちも門を出ることにして門扉を閉めようとすると男性が「いやいや、それは自分がするから」と言って閉めてくださった。
丁寧にお礼を言って私たちはそこを去ることにしたが、こんな思いもよらない親切に胸がいっぱいになってしまった。

たくさんとったが本来なら見るのも写すのもいけない建築世界遺産であり、個人宅の庭ゆえ、ここでは一枚だけ載せることにしよう。


この中庭にある大きなシュロの木を見たガウデイが門扉をデザインしたのかと思うと時空を越えてガウデイのそばにいるような気がして涙ぐんでしまった。

私と夫はこんなに外国人の私たちに親切にしてくれたことを思うと日本に来た外国人にも親切にしなければねと心から思うのだった。
 それにしてもヘルメットをわざわざ脱いで丁寧な美しく正しい英語をお話になった中年の男性はいかにもインテリのジェントルマンと言う感じの人だった。スペイン人は意外と英語をしゃべれる人が少ないので驚いた。それも大学生がしゃべれない。そう思うとこの男性はかなりのインテリ階級のひとなのだろう。もっとも世界建築遺産に住んでいるのだから相当の人であることは想像できる。
バルセロナの世界建築遺産に住む心優しき紳士に感謝。

建築をめぐる旅はまだ続く。
 次はバルセロナ郊外にカタルーニャ鉄道に乗って出かけることにした。
 ガウデイの強力なスポンサーで理解者であるグエルが工場をバルセロナ郊外に移転させ、田園工業都市を作り上げるために計画したのがコロニアル・グエル。ガウデイはここに教会を作った。
 電車を降りるとそこは何もない田舎の風景が広がっていた。そこにいまだにグエルの工場が稼動していて村の人が働いている。のどかな田園地帯だ。
そこにあらわれたのがこの田舎の風景に何の違和感もなくひっそりとたたずんでいたのがコロニアル・グエル教会だった。
これを見たくて日本からはるばる来ました!






切り出したばかりの柱が支える半地下の教会堂の空間にステンドグラスから差すあかりが床に緑や赤や青の光を映して神秘的であった。




このステンドグラスのシンプルで温かみのあるデザインはどうだろう!愛らしく美しく素朴で心を温めてくれる。
このステンドグラスに見ほれていたら、この教会を守る人だろうか男性が突如ステンドグラスの下の鎖を引き出した。
すると何と!ステンドグラスの下の部分が蝶々の羽のようにあいて外の空気と明かりが入ってくるしかけになっていた。鎖で開け閉めするとまるで蝶々が羽をばたばたと言わせているようだ。そのたびに教会堂の中の明かりが変化していった。
これを私たちたった二人だけの見学者のために開け閉めしてくれた男性に「グラシャス!」と感謝の言葉が自然に出た。ガウデイは本当に天才である。
閉め切りのステンドグラスでなく、蝶々がはばたくようにステンドグラスの羽が開いたり閉じたりする。教会は呼吸している。自然と共にある。


ただただ美しくひっそりと素朴で温かい空気が流れていった。






木々に囲まれた田園地帯にひっそりとたたずむコロニアル・グエル教会は自然の中で育ったガウデイの心がぎゅっと詰まっているようでいつまでも心に残るものであった。
(続く) 


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